『離れの選手とお母さん』(監督:イム・ヨンソン/制作:テウォンエンターテイメント、アイビーピクチャーズ、オリーブナイン)は、愉快なタイトルと2人の俳優の出演だけでも話題を集めている映画だ。
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タイトルでわかるように、チュ・ヨソブの短編小説『離れの客とお母さん』の登場人物や設定を借りてきたが、舞台は1930年代の田舎の村から、2000年代の地方都市に移された。映画のストーリーは、小説と何の関連もない。この映画は前半で熱心に笑わせた後、後半では涙を誘おうと仕掛けた紛れもない国産コメディである。
ソウルで興信所を運営するドックン(チョン・ジュノ)は、父親が残した莫大な借金を抱えている。ある日、現金の束が入ったカバンを持ってきて、失ってしまった孫娘を探してほしいというおばあさんの依頼を受けたドックンは、その孫娘の痕跡を追って地方に向かう。
ドックンがお世話になる宿の主人こそ、若きシングルマザー“ヘジュ”(キム・ウォニ)だ。ヘジュは15歳で娘オッキ(コ・ウナ)を生み、娘のために小さな居酒屋を営みながら下宿まで運営している働き者の女性だが、決定的に元気があり余っている。世間知らずな母親と模範生の娘は、ハンサムな離れのお客に同時に惹かれ、猛烈にアタックする。
依頼人の孫娘も探しだせず、借金の督促に苦しむドックンは、偶然にもヘジュの通帳に1億ウォン近い金額が入っているのを発見する。ドックンは通帳の暗証番号を知ろうと様々な方法を使うが失敗に終わり、結局はヘジュを誘惑する作戦に変更。しかし、ヘジュにずっと片想いしてきた村の青年会長ソンチル(イム・ヒョンジュン)の妨害で、それさえもままならない。
映画では、小説の切ない構成が消えたが、小説の中の設定は所々でコメディ要素に変わって登場し、笑いを誘う。礼儀正しい離れのお客さんと、控えめな未亡人を切り離したものが“封建的な倫理”だとしたら、詐欺師の離れの男と世間知らずなシングルマザーを切り離すのは“金”だ。
『離れの客とお母さん』で、6歳の純粋な瞳で彼らを見ていた愛のメッセンジャーであるオッキは、15歳の模範生に生まれ変わり、若い母親のライバルとなる。お客と母親の間の切ない愛情の象徴だった“ゆで卵”まで、チョン・ジュノの「僕はヘビですか?毎日草むらで卵ばっかり食べて?」というセリフで、笑いを誘うシーンに変身した。
しかし、映画は前半に笑いの装置を所々にセットしておいても、これを活用してキレイに締めくくることはできなかった。主人公たちが一体どのように愛情の危機を克服したのかに概念性がなく、邪魔者の助演に過度な正当性をつけて映画の流れは不自然なものとなった。笑いだけでは物足りず、感動まで与えようと欲張り過ぎて、慌てて結末から出した点は、これまでの韓国コメディの短所を踏襲したものと映る。
演出を務めたイム・ヨンソン監督は『アウトライブ-飛天舞-』『ラスト・プレゼント』『無影剣』などの助監督を経て、今回初めて長編映画を手がけた。8月8日公開。
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<b>元ネタ『離れの客とお母さん』とは?</b>
『離れの客とお母さん』は、作家チュ・ヨソブの代表作で、1961年には、シン・サンオク監督によって映画化された。若き未亡人と、その家の離れに下宿する画家との切ないラブストーリーを、6歳の娘オッキの目を通して映し出した作品。古い倫理観に縛られて気持ちを伝えられない未亡人と、彼女を想いながらもやはり一線を越えられない画家。揺れ動く2人と、画家の男を父親のように慕う無邪気なオッキとの、暖かな交流を描く。
映画『離れの客とお母さん』は、韓国内の映画祭で受賞に輝いたほか、第23回ヴェネチア映画祭出品作にもなっている。
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