韓国の国家遺産庁と国外所在文化遺産財団は24日、高徳院と約定を締結し、正式に観月堂の部材の譲渡を受けたと発表した。日本による植民地時代だった1920年代に日本に移されてから約100年ぶりの「帰還」だ。
高徳院側は昨年、保存・復元のために観月堂を解体し、国家遺産庁と協議して瓦、石材、木材などの部材を順次、韓国に移送したという。同庁の崔応天(チェ・ウンチョン)庁長は「長い期間にわたる協議と韓日両国の協力を通じて実現した意義深い成果だ。所蔵者の誠意ある寄贈と両国の専門家の努力があったために可能だった」と説明した。
海外から韓国の建造物全体が戻ってきたのは初めて。
観月堂は朝鮮王室と関連があったと推定される。高徳院では鎌倉大仏の裏に位置していた。
観月堂は1920年代に日本人の手に渡り、悲運の道をたどったとされる。高徳院はホームページで「1924年当時これを所持されていた『山一合資会社』(後の山一証券)の社長、杉野喜精氏によって、東京目黒の私宅から移築・寄贈された」と説明してきた。
学界などでは朝鮮王室が観月堂を融資の担保として提供し、その後、朝鮮殖産銀行が財政難で融資を受けた際に杉野氏に贈与したという説が広く知られている。ソウル中心部にある朝鮮王朝時代の王宮、景福宮にあったという見方もあるが、用途など具体的な内容は明らかになっていない。
観月堂の返還については2010年に話が進められたことがあった。当時、大韓仏教曹渓宗総務院は日韓仏教交流協議会側と観月堂を韓国に戻すことで合意したと発表したが、その後、協議が中断された。
国家遺産庁と国外所在文化遺産財団は2019年から高徳院側と観月堂の保存に向けた意見交換を続け、全ての部材の譲渡を受けるに至った。
高徳院の住職、佐藤孝雄氏は観月堂を解体し部材を移送する費用を自費で負担し協力した。佐藤氏は、100年にわたり高徳院にあった歴史的意味と価値を記憶しながら韓国内の適切な場所で本来の価値を回復することを願った。
高徳院側は両国間の文化遺産の持続的な研究に向け別途の基金を設け、同財団に寄付する意向も示した。
崔庁長は「文化遺産を通じて相互尊重と共感の価値を実現した模範的な事例」だとし、「韓日両国の文化的連帯と未来志向的な協力の象徴となることを願う」と述べた。
Copyright 2025YONHAPNEWS. All rights reserved. 40