JKキム・ドンウク の最新ニュースまとめ
30代以上のテイファンが多いのもそのため。幅広い年齢層のファンを抱えているおかげで、CD市場の不況にもかかわらず、昨年発表した1stアルバムは11万枚の売上を記録した。CDの売上で受賞が決まる<ゴールデンディスク賞>の新人賞を手にできたのもこのおかげである。
昨年6月、1stアルバムの活動を終えたテイは、7か月ぶりに2ndアルバム『ウチュプラカチア(UcuPraCacia)』で新年を迎えた。アルバムのタイトルが何だか難しそうだが、“ウチュプラカチア”というのは想像上の植物。他の人の手が触れただけで枯れてしまう、たった一度の愛だけを記憶する植物である。
「インターネットでウチュプラカチアを知りました。元々は、タイトル曲の曲名にしようと思ってました。でも難しすぎて歌の意味がうまく伝わりませんでした。周りからも、『ラクカラチャ(メキシコ民謡)』かとからかわれ、歌のイメージを損ねてしまいそうだったので、『愛は…ひとつ』に変えました」作曲家ファン・セジュンの曲である『愛は…ひとつ』をはじめ、『?』『私に留まる』など、2ndアルバムは、愛と別れの悲しみを歌った1stの延長線上にある。
「心配しました。『愛は…ひとつ』が1stアルバムのタイトル『愛は香りを残して』の第2弾と思われそうだったので。だから、歌い方の変化に気をつけました。2ndのレコーディングで、やっと自分の歌い方を見つけました。1stの時は、マイケル・ボルトンなど、重低音のハスキーな歌い方を真似ていたといえます。僕が思うに、その時はプロではありませんでしたね。」テイはレコーディングを行った7か月間、とても幸せだったという。放送出演なしで好きな音楽をやっていればよかったのだから。彼は、「一緒に曲作業をして、レコーディングする過程は、対外的に活動するより肉体的にも精神的にも安定します。スタジオに毎日男たちが20人くらい集まっていたんですが、女性が1人でも来たら、それはもう女王様扱いしてました。ホントに軍隊に行ったような気分でした」と笑った。
まだアルバムに自作曲を収録できてはいない。まだ力量の足りないヒヨッコだと思っているからだ。2ndアルバムでも、導入曲『ある日』の作詞に参加した程度である。
しかし、Teiの秘められた底力は計り知れない。デビューのきっかけとなったユニークな履歴も興味深い。
「蔚山(ウルサン)育ちで、高校の連合ロックバンド<青酸カリ>のボーカルでした。自作曲もあります。2002年のある日、新装開店する<コイン・カラオケ>で、タダで歌わせてくれました。JKキム・ドンウクの『彼女のために』を歌ったんですが、そのカラオケの機器を担当している業者が、その時の映像ファイルをインターネットに音楽ファイルとして掲載したんです。これを見た作詞家ハ・ヘリョンさんが、会おうと言ってきました」
TeiはソウルのCD関係者たちが、蔚山のインディーズロックバンドなど、知っているはずがないと思った。
そのため、ハさんを“イカサマ師”くらいに思っていた。
「ロックミュージックに対する執念が強くて、芸能人に対する拒否感がありました。オファーを受けて、ミュージシャンと放送エンターテイナーとの間で悩みましたね。今の社長(ドゥリ・インベスターズ:パク・ヘンリョル代表)と会ってからやっと決まりました。歌手を、商品でないミュージシャンとして育てたいという意志を聞いて、ついていくことにしました」テイにとって、歌手は“業”である。アルバムを一つ出す度に中身をぎっしり詰める作業をしているような感じである。私生活での充実度もアップした。馬山市(マサンシ)所在のキョンナム大学建築学科に在学中の彼は、昨年後半期に復学し1学年を終えた。2nd活動の時は、休学せずマメに長距離通学をすると語った。
また、バラード歌手である分、自分の歌が多くの人々に共感できるよう、好きなクラブ活動も中断した。彼は「愛と別れ、悲しみを歌うバラード歌手が、ステージで悲しい振りして歌い、外では踊りまくっていたんじゃ、歌に気持ちが入らないでしょう。上っ面だけではダメです」と強調した。彼は20代前半という年齢に比べ、その精神は大きく、肥えた歌手だった。
Copyrights(C)yonhapnews & etimes Syndicate & wowkorea.jp
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