イ・スンチョル の最新ニュースまとめ
先日、ソウル市内のレストランで聯合ニュースとのインタビューに応じたイ・スンチョルは、「フランク・シナトラのように70歳になっても後輩とデュエットしたい。望みがあるとすれば、どこかの片隅に胸像を1つ残したい」と語った。
1985年にロックグループ<復活>のボーカルとしてデビューし、これまで22枚のアルバム、200曲余りを発表した。「振り返ってみると、懐かしい」と笑顔を見せる。これまで歩んできた歌手人生を自ら祝うため、先ごろ25周年記念アルバムを発表した。デビュー以来、失敗より成功が多くなるよう、そして成功がもっと増えるよう、努力を続けてきた。それでも25年間歌うことができたのは「運が良かったため」だと謙虚に答える。
25周年アルバムには、新鋭作曲家のチェ・ヨンチャンが手がけたタイトル曲『君に染まっていく』、ドランクンタイガー(タイガーJK)がラップフィーチャリングした『25回目のプロポーズ』、長年のパートナーの作曲家チョン・ヘソンがつくった『あの時に帰ろう』の新曲3曲をはじめ、後輩歌手らがアレンジして歌った彼のヒット曲が盛り込まれている。
後輩歌手らはイ・スンチョルの曲のうち好きな曲を選び、編曲して歌った。<少女時代>が『少女時代』、キム・テウが『Hee Ya』、パク・チンヨンが『さよならなんて言わないで』、IVYが『長い1日』、キム・ボムスが『行かないで』を歌い、ピアニストのキム・ジョンウォンが『Last Concert』、<皇帝バンド>が『彷徨』を演奏した。
イ・スンチョルは今回のアルバムに対し、「後輩から豪快におごってもらった感じ」だと述べた。曲がリメークされるのは大歓迎だという。「わたしの歌が再び生命力を得て、別の雰囲気で多くの人々にアピールされるのがいいから」。
しかし、イ・スンチョルは自身の歌のリメークにとどまらず、絶えず新曲を発表している。有名作曲家に頼らず、今回のアルバムのように新鋭作曲家の曲を採択する。そこには彼独特のやり方があった。
「わたしのウェブハード(ウェブ上のストレージ・サービス)や電子メールには新人作曲家から毎日約10曲が届きます。それを無差別的に聞いて、曲を選ぶんです。今すぐにアルバムを出してもよさそうな曲が50~70曲ありますね」。
アルバム収録曲は、25周年記念舞台でライブで楽しむことができる。80メートル規模の大型ステージで60人編成のオーケストラとロックバンドが協演する大舞台だ。当日のようすは7月にMBCで放送される。
25周年コンサートでイ・スンチョルが最も重要視しているのは音響だ。耳で大きな感動を感じてもらおうと、今回も5.1サラウンドシステムを導入する。野外公演場のため雨天を心配する声もあるが、実は雨が降るとサウンドはよくなるという。
25周年となるだけに、チケット価格も2万5000ウォン(約2030円)から25万ウォンまでさまざまだ。25万ウォンのチケット販売収益はアフリカ支援プロジェクトに寄付する。
19歳でデビューしたイ・スンチョルは、時間の重みを今になって感じているようだった。早くにデビューし手に入れたものは多いが、若くしてスターダムにのし上がったため失敗も多く、これは失ったもののひとつだと率直に語る。「タイムマシンに乗って戻ることができるなら、完璧な人格として歌手生活をしたいです。ただ、わたしに復活のようなグループがあったことは本当に幸いでした」。
<復活>は自身の音楽生活のスタートラインだ。<復活>のリーダー、キム・テウォンとの不和説が絶えなかったが、その時代はイ・スンチョルの音楽の母体となった。<復活>での音楽生活がなかったなら、プロダクションに所属する平凡な歌手となり、音楽的限界が早くきていたはずだと、彼は言う。
大麻吸引、放送停止、離婚などでつらかった時期もあったはず。しかし、引退まで考えた事件は2007年の『叫べ』が盗作疑惑に巻き込まれたときだったという。いい曲をファンに披露したいために歌ったのであり、金を稼ぐために歌ったわけではなかった。この事件でステージに立てないほど非難を受け、真剣に引退を考えたと打ち明けた。
歌手人生でありがたかった曲を挙げてほしいと言ってみた。すると、生命力のある歌手としてのポジションを与えてくれた曲として、『Hee Ya』『さよならなんて言わないで』『Never Ending Story』『そんな人他にいません』を挙げた。これらのヒット曲でつづる創作ミュージカルの上演も企画しているという。
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