朝鮮半島での「標準時」で学ぶ日韓の歴史(参考画像:news1)
朝鮮半島での「標準時」で学ぶ日韓の歴史(参考画像:news1)
1876年、朝鮮政府は長い鎖国の時代を終え、開港を断行した。近代化の道を歩み始めた朝鮮半島(韓半島)は、西洋式の標準時として東経120度か東経135度を選択する必要があった。半島の位置としては、東経127.5度がもっと適しているが、世界の主な国々との時差が1時間単位ではなく、30分単位になる不便が生じる。

 長い間、中国の影響力を強く受けていた朝鮮に対しては、中国の北京と同じ時間であることが便利だった。結果、東経120度の時間(GMT+8)を標準時として選択した。

 1908年、大韓帝国政府は、韓国の標準時間を東経127度30分(GMT+8.5)に合わせると発表。日清戦争で日本が勝つことで朝鮮から中国の影響力が弱くなってから15年、ロシアの干渉の中、大韓帝国が成立してから10年後のことであった。

 1910年の日韓併合を経て、1912年1月1日からの半島の標準時間は東経135度(GMT+9)になり、日本の標準時と同じくなった。日本と同じ時間であることが植民統治に便利な時代になったとのこと。

 1945年、日本の敗戦と共に韓国が独立して間もなく、半島の北にはソ連軍が、半島の南にはアメリカ軍が駐屯した。1950年には米ソの代理戦とも言われる「朝鮮戦争」が勃発。東京駐屯のアメリカ軍司令部との連絡の利便性の問題もあり、戦争終結の1953年まで日本の標準時が使われた。

 1954年、韓国政府は東経127度30分(GMT+8.5)に標準時間を合わせると発表。これから7年の韓国は大混乱の時代だった。戦争は「終戦」でなく「休戦」の状態で南北の対立と競争は続く。韓国を資本主義と自由民主主義の国として建国した初代大統領は独裁と不正選挙で国民抵抗の対象になり亡命した。

 1961年、政治問題で混乱する韓国社会を安定させたのはクーデタで政権を握った軍部勢力。当時、権力機関になった国家再建最高会議は、標準時を再度、東経135度(GMT+9)に合わせると発表した。この機関の議長は、後ほど韓国の大統領になる朴正煕(パク・チョンヒ)氏。朴槿恵(パク・クネ)現大統領の父親である。

 その後、1965年には日韓国交正常化が同じ標準時を共有する2国の間で行われ、日本の資本や技術、法律や社会制度などが韓国の発展に貢献することになった。韓国では現在に至るまで日本と同じ標準時間が用いられてきている。

 一方、1945年から朝鮮半島を北部を管轄している北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)は、「親日派」を建国の人材として活用した韓国に比べて「親日派の清算・粛清」に力を入れてきた割には、日本標準時をそのまま維持してきた。

 しかし、独立70周年になる2015年8月15日に、突然の標準時変更をすると発表。

 歴史的には、朝鮮半島における中国・ロシアの大陸勢力が強かった時期は中国標準時が、日本やアメリカの海洋勢力が強かった時期は日本標準時が、朝鮮半島の標準時として使われてきたとの解釈にもなる。
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