被害者を支援する市民団体「民族問題研究所」によると、1918年12月に黄海道延白郡で生まれたキムさんは、同地の専売支局で働いていた44年8月に三菱重工業の長崎造船所に動員され、労働を強いられた。
長崎に原爆が投下された45年8月9日には爆心地から3.2キロ離れた工場で被爆。その後、密航船に乗って帰国した。
キムさんは日本に連れて行かれ動物以下の扱いを受けたとして、2019年4月に損害賠償訴訟を起こした。一審では敗訴したが、今年5月の控訴審で原告勝訴の判決が言い渡され、三菱重工業に1億ウォン(約1060万円)の支払いが命じられた。現在は大法院(最高裁)で審理が続いている。
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