「佐渡島の金山」は、「相川鶴子金銀山」と「西三川砂金山」の2つの鉱山遺跡で構成。17世紀には世界最大級の金の生産地となり、1989年まで操業が続けられてきた。日本政府や新潟県は「江戸時代にヨーロッパとは異なる伝統的手工業で大規模な金生産システムを発展させた、世界的にもまれな鉱山だ」としている。
一方、佐渡金山には戦時中、労働力不足を補うため、朝鮮半島出身労働者が動員された。そのため、韓国側は当初、「佐渡島の金山」が世界遺産登録を目指すことに反対した。日本が登録を目指すのであれば、朝鮮半島出身労働者が強制労働に従事した歴史を反映すべきとの主張を続けた。だが、強制労働か否かの見解は日韓で食い違っており、日本政府は2021年4月、先の大戦中に行われた朝鮮半島から日本本土への労働者動員について「強制労働には該当しない」との答弁書を閣議決定している。
日本は韓国側と水面下で協議を重ね、佐渡市内の展示施設で朝鮮半島出身者を含む鉱山の労働者に関する新たな展示を始めた。「佐渡島の金山」における全ての労働者のための追悼行事を、毎年現地で開催することも決めた。そして昨年7月、ユネスコ(国連教育科学文化機関)世界遺産委員会の会議が開かれ、審議の結果、韓国を含む委員国の全会一致で「佐渡島の金山」の世界文化遺産登録が決まった。
昨年11月、佐渡市内で初めて追悼式が開かれた。追悼式は地元の自治体や市民団体などでつくる実行委員会が主催し、約70人が出席した。一方、この追悼式には、韓国政府関係者や韓国人遺族も出席予定だったが、韓国側は、追悼の辞の内容などが合意していた水準に満たないとの判断などから、前日になって急遽(きゅうきょ)不参加を決めた。当時、式の関係者らからは落胆や困惑の声が上がった。一方、韓国側は佐渡市内で独自の追悼行事を執り行い、韓国の労働者遺族9人と、当時のパク・チョルヒ駐日大使らが出席した。
パク氏はことし7月に離任したが、これに先立ち開いた韓国メディアの東京特派員らとの懇談会で、在任中、最も大変だったこととして、この追悼式をめぐる対立を挙げた。通信社の聯合ニュースによると、パク氏は当時を振り返り、日本政府が追悼式の名称に「感謝」を入れたいとの主張を崩さなかったとした。パク氏は「追悼式は追悼式でなければならない。形式と内容が追悼式にふさわしいものであるべきだという考えは今も変わっていない」とした上で、「両国が歩調を合わせ、良い結果が出ればよかったが、そうでなかったため、ことし(の追悼式)はより良い結果が導き出されることを期待する」と述べた。
韓国メディアは、日本側がことしの追悼式を今月13日に開く意向を韓国側に伝えたと報じた。だが、追悼の辞などに関する日韓双方の立場の違いが大きく、韓国側は昨年に続き、ことしも参加しない可能性があるという。韓国紙のハンギョレによると、韓国政府当局者は同紙の取材に「追悼式の内容と形式をはじめとして韓日関係の大きな枠組みも共に考えながら協議を進めている」とした上で、「現時点では参加と不参加の可能性をいずれも残している」と話した。また、聯合ニュースによると、ある消息筋は取材に、「意見の違いのため、韓国は、日本側が開く追悼式に参加せず、別の行事を開催するかどうかなどを議論していると承知している」と明らかにした。
韓国はことし6月、イ・ジェミョン(李在明)大統領が就任した。ハンギョレは、ことしの追悼式をめぐる韓国政府の対応について「歴史問題に対する韓国の原則を守りながらも日本と未来志向的な協力をするという李大統領のツートラック韓日外交基調に対する重要な試金石として注目されている」と伝えた。
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