同事件は米軍政の支配下にあった1948年4月3日、朝鮮半島の南側だけでの総選挙実施は南北分断を固定化するとして反対した済州島の島民らが武装蜂起し、軍や警察が鎮圧を名目に多くの島民を虐殺した事件。
在日本済州四・三犠牲者遺族会の呉光現(オ・グァンヒョン)会長は追悼のあいさつで、事件で済州の人たちは不寛容と憎悪のもと犠牲になったとし、「不寛容と憎悪の時代に生きている私たちは今こそ済州四・三が教えてくれた平和、人権、共生、真実究明を再確認しなければならない」と述べた。
立命館大の文京洙(ムン・ギョンス)名誉教授は「済州四・三特別法の改正過程では在日済州人に関連する議論が抜け落ちている」と指摘。「特別法に在日済州人犠牲者の調査と遺族支援が盛り込まれるよう積極的に努力してほしい」と訴えた。
四・三事件前後の混乱期に多くの済州島出身者が命がけで大阪などに渡った。大阪での慰霊祭は事件から50年となる1998年から開かれている。2018年には統国寺に犠牲者の慰霊碑が建てられた。
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