安義士殉国112周忌(3月26日)を控え、サムスン文化財団は「安重根義士崇慕会」が所蔵する安義士の家族写真のアルバムを遺物保存処理することにした。今回、アルバム1点の他にも安義士の遺墨2点(『天堂之福 永遠之楽』、『志士仁人 殺身成仁』)も保存処理が行われる。
◇“歴史のアイロニー”が作りだした写真…処刑前まで安重根の胸に
写真の中には白い韓服(チマ・チョゴリ)を着たキム・アリョ(金亜麗)夫人と2人の息子であるブンド(芬道)とジュンセン(俊生)が写っている。次男の俊生は亜麗夫人の膝に、長男の芬道は亜麗夫人のそばに立っている。この写真1枚がこの世に残った背景は、“歴史のアイロニー”だと言える。安義士の家族を不審に思った日本の警察が総領事館に連行して撮った写真だからだ。旅順監獄(現在の中国大連に存在していた刑務所)で安義士の通訳を務めた園木末吉が死刑を控えた安義士を不憫に思い、自ら用意した絹のアルバムに入れて渡したという。
最後の最後まで再会することが出来なかった家族だ。実際、安義士と家族はハルビンで一度会うことが出来ていた可能性もある。安義士が義挙直前に同志のチョン・デホに頼んで夫人と2人の息子をハルビンに呼んだが、義挙日(1909年10月26日)の翌日に到着して再会できなかったのだ。
安義士が亡くなった後、アルバムは園木が保管していたが、日本のある所蔵家によって2020年に韓国に返還された。サムスン文化財団は「現在、アルバムは折り目の部分が切れて分離し、角の部分がすり減っている状態だ」と伝えた。
アルバムとともに保存処理される遺墨『天堂之福 永遠之楽』は「天堂の福は永遠の楽」という意味だ。安義士が1910年3月に旅順監獄で書いたもので、2020年に写真とともに故国に帰ってきた。最初の所蔵者ははっきりしていない。
『志士仁人 殺身成仁』は「高い志を持った士と善良な人は正しいことのために命を捨てる」という意味だ。1910年3月に旅順監獄で書いたもので、安義士の公判をスケッチした「土陽新聞」の通信員だった小松元吾に書いた遺墨だ。この遺墨は小松の宗孫である小松亮によって2016年11月に韓国に返還された。サムスン文化財団は「作品の紙、掛け軸の周りを飾る布が不均衡により折れ、しわが寄っている」と遺墨の状態を伝えた。
◇サムスン文化財団が支援した初の独立文化遺産保存処理
アルバム1点と遺墨2点など、安義士の遺物保存処理にはサムスンLEEUM(リウム)美術館の保存処理技術が動員される。アルバムは写真の状態が良好であるため、角などの損傷部分を修理して可能な限り元の姿にまで復元する予定だ。遺墨は古い装丁布を交換し、作品がしわになるのを改善することに焦点を合わせる。当時、日本で製作されたものと見られる老朽化した布を保存に適した天然素材に変え、紙はリウム美術館が直接作った糊(10年以上壺で発酵させた東洋古書画の保存処理に使う接着剤)で裏打ちする。また、長期間、安全に保管するため、太く巻いた軸と桐箱も新たに製作される
安重根義士崇慕会、安重根義士記念館と共にサムスン文化財団が安義士の遺物に対する調査に着手したのは昨年8月だ。保存処理が急がれる遺物3点を選定し、今年1月に作業を引き受けた。その後、今月から始まった作業は1年余りをかけて来年3月ごろ完了し、安重根義士崇慕会に引き渡す予定だ。
サムスン文化財団が独立文化遺産の保存処理を支援するのは事実上、今回が初めてだ。サムスン文化財団のリュ・ムンヒョン代表理事は「困難に直面している安重根義士の遺物を保存処理することにした」とし、「安義士の国と国民に対する愛、平和に対する思想を後世に伝えようという崇慕会の考えに共感する」と伝えた。続いて、「予算と人手不足で苦しんでいる独立文化遺産などを保存し、韓国の文化遺産にすることに今後も引き続き取り組んでいく」と付け加えた。
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