オ・ヨンス の最新ニュースまとめ
貧しい家に生まれて家庭を支えるために奔走し、結婚しては姑の嫁イビリに苦労する。家事やら子供たちの面倒やら、とにかく大変だ。それでも夫のパン・ソンムン(ソン・ヒョンジュ)との結婚ら元気を得ている。そんなこともあり、妹のメンヨン(イ・テラン)にも、いい人と出会って早く結婚するように言う。しかし、夫のパン・ソンムンは他の女と恋に落ち、やがてメンスンに別れたいと告げる。
結婚後10年間、様々な家事や苦労をしてきたメンスンに返ってきたものは、こんなものである。『二度目のプロポーズ』のチャン・ミヨン(オ・ヨンス)が結婚生活で得たものも結局、こうした裏切りと自信喪失である。また『愛情の条件』でのウンパ(ハン・ガイン)も同様に、苦労ばかりを強いられる。クムスンのように賢く解決していくほうが、むしろ非現実的なのかもしれない。
もちろん、地上派放送では家族の崩壊ではなく維持という結末にしているが、その過程の赤裸々さは、他の結果を作るのに一役かってきた。数多くのドラマや映画たちは、既存世代の結婚・家族生活を余すところなく見せており、これは既成世代たちに共感を与えた。しかし、新世代たちには“結婚”と“新しい家族”について否定的な認識を植え付けた。
よく民衆化勢力は、新しい世代に独裁勢力の極悪性と自分たちがその中でどのように苦労し、戦ってきたのかを強調する。独裁勢力が来たとき、新しい世代が彼らに立ち向かっていけるようにする一つの方法である。しかし、新しい世代は別の行動を生じたりする。そしていっそのこと、民衆化運動に挑まないのである。民衆化運動は、辛く苦しいものだと分かりきっているからである。
古古(クク)の本<あなたはなぜ貧しいのか>では、新しい世代は以前の世代を教訓として、別の行動をとるという。例えば、親の世代の生活を反面教師として世を悟ったかのように、別の生活を模索する。つまり、親世代のように苦労はしたくないという心理が代表的だ。母親のようにはならない、というのもこれと同じものである。
母親たちは苦しい結婚・家族生活を娘たちに語る。そうすればそうするほど、娘たちは母親のようにはなりたくないと思う。いや、いっそ結婚をしようとしなくなってしまう。また、結婚しても子供を生みたがらない。子供を生んだって、苦労するばかりだからである。さらに韓国社会で子供を育てるのは大変だ。
24日、統計庁は、韓国の平均出産率が1.16人だと明らかにした。これはOECD国家中、最下位である。平均出産年齢も30歳を超えた。これは単純に出産をしないということを意味するばかりでなく、新しい世代は結婚を避け、家族を構成することに拒否感を感じているのだ。
北朝鮮の平均結婚年齢が、男性27歳、女性25歳であるのに対し、韓国の平均結婚年齢は、男性が30.1歳、女性が28.3歳である。これは平均値なので、実際は結婚しない独身者の年齢はもっと高い。独身者を考えられる1人1世帯数は2005年現在、268万人にのぼる。女性の独身比率はどんどん増え続ける勢いだ。
既成世代の結婚が悲劇的だったという点を、大衆文化で表せば表わすほど、“結婚は狂気の沙汰”になってしまう。結婚は不安で、自分を失ってしまうのではないだろうか、と悩ませてしまう。また、一生を“結婚”に縛られて生きるのではないだろうかと心配になってしまうのだ。そうして年ばかり取っていく。これは『バラ色の人生』のメンヨンによく表れている。だから結婚せずに自分の仕事に熱中する。しかしいつも寂しさに震えている。
宮本孝二の『パラドックスの社会学』と、Barry Schwartzの『選択のパラドックス』は、結婚を控えた人の拘束と自由というジレンマと、結婚のパラドックスを指摘している。彼らの結論は結婚を通じてすべてを得ようとしてはいけないというものである。
独身の自由も欲しがり、結婚から与えられる結果も欲しがるから、結婚がうまくいかないという。精神科専門医のキム・ジョンイル氏は、<どうせ愛は賭けだ>の中で、結婚は利益になる取引のようなものと同じだという。幻想的な愛とは程遠いというのである。自由を制限され、そこから得られるものが何かを考えねばならないという。得られるものがないなら、結婚はしてはいけないという主張と言えるだろう。経済学でいう、“機会費用”を意味している。
では、得るものがなければ結婚はしないのだろうか。
何よりも新しい世代を苦しめるのは、結婚と新しい家族に対する恐れである。自分を失ってしまうかもしれないという自己愛の変形だ。しかし“サムシク”式に言うと、結婚が怖いから結婚しないということは、死が怖いから生きないということと同じことだ。
根本的な質問が必要なようだ。新しい世代は、人類文明以来、最も洗練されて進歩した人たちなのだろうか?だから結婚しないで家族を拒否することが、人間の尊厳と権利を手に入れることなのだろうか?西欧の直線的な世界観だったらそうなのかもしれない。しかし、家族の構成は、自分を保存し維持するための、人類最善の発明品であり、それは徹底した利害関係の反映物である。
新しい世代が窮屈だと思う儒教は、すでに2,500年以上前に今の世代たちが持つ悩みを悩みぬいており、そして下した結論は家族だった。それはただ情的な概念ではなく、交換と合理の所産だった。
過ぎ去った過去の多くの人々は、現時代の人々の悩みを繰り返し悩んできた。人々は人類歴史以来、その枠を打ち壊そうとしてきたが、後になって返ってくるのは寂しさと孤独という事実を悟る。このため、家族を構成してきたのだ。我々は今、もしかしたら自分たちが最も進歩的だと思い、家族を拒否して1人で耐え抜けると勘違いしているのかもしれない。
しかし、『バラ色の人生』のようなドラマをみると、結婚したくなくなる。女性たちは特にそうだ。家族を構成することに恐ればかりが先立つ。我々はドラマがそんな結婚の赤裸々さを見せれば見せるほど、結婚に対する心配ばかりが増えるという逆説的な現実が目の前にある。
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