洋画を専攻したハン監督は、舞台デザインに関心をもち、26歳で他人がうらやむ会社を自ら退職し、米国留学に旅立った。
3個で1ドルのハンバーガーをまとめ買いして冷凍し、それを解凍して日々の食事にあて、学費を納めるために片っ端からアルバイトをした。家庭内の経済悪化で早期帰国の危機にさらされたこともあったが、奨学金をもらって困難をくぐりぬけてきたという。
そんな中、友人の誘いで1999年に韓国映画「ラブ」の米国ロケに美術監督として参加したことがきっかけとなり、韓国人としては初めてハリウッドに足を踏み入れた。
以降、「リトルヒーロー2」と「ザ・マン・フロム・エリシアン・ フィールズ 」でアンディー・ガルシア、ミック・ジャガー、ジェームズ・コバーンらと共に映画作業を行うという栄光も手にした。
現在は、パラマウントやワーナー・ブラザース、ESPN、MTVなどと映画を手掛けるハリウッド最高の美術監督のひとりに成長したのだ。
韓国人どころか東洋人を見つけるのも難しいとされるハリウッドで、”美術総監督”として生き残るということは、まるで一日一日が戦争のようだ。
ハン監督は「東洋人、かつ女性というハンディーキャップを背負いながら、疑いの視線が注がれる中で生き残るただ一つの方法は、実力で仕事をし、自分自身を信じることだけ」と力強く語った。
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