新人女性3人組<VNT>
新人女性3人組<VNT>
1990年代を代表する歌手シン・スンフン、キム・ゴンモ、<NOISE(ノイズ)>、<CLON(クローン)>から最近ではチェヨン、イジョンに至るまで多くの有名歌手を手掛けたプロデューサー兼制作者キム・チャンファン、メディアライン代表が冒険を敢行した。アイドルグループ・ブームの流れに乗り、キム・チャンファン初となるアイドルを輩出したのだ。

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女性3人組<VNT(Voice of Ninety Two)>、ボーカルのTina(ティナ/本名:キム・チェウォン)とYumi(ユミ/本名:ソ・ユミ)、ラッパーのLil J(リルジェイ/本名:パク・チヨン)で構成された10代のグループだ。ユミとLil Jが1992年生、ティナが1993年の早生まれということで、グループ名は“1992年生の声”という意味。<VNT>は最近、デビューシングルを発表し、タイトル曲『Sound (Ye Ye Ye)』で活動をスタートさせた。

インタビューに応じたメンバーたちは「キム・チャンファン代表がK-POP界の“マイドスの手”と呼ばれ、わたしたちがキム・ゴンモ、チェヨンら先輩たちのヒットに続かなければと、プレッシャーを感じている。キム・チャンファン師団に名前があがるだけでも光栄」と口をそろえた。

彼女たちがキム代表に発掘されたのはサイワールド・ミニホームページ(日本でいうブログ)のおかげ。キム代表が自身のミニホームページで歌手志望生を募集し、映像とデモ曲を載せた志願者から選出した。2008年のティナに続き、その2か月後にユミとリルジェイが選ばれ、メンバーは2年間の練習生生活を送った。

ユミは「アニャン芸術高校在学中で、幼い頃から歌手を夢見ていた。好きだったキム・ゴンモさんの情報をネット上で探していたところ、キム代表が関連検索語でヒットし、偶然にもミニホームページでオーディションを見つけた」と話した。そして、3人の共通点は、歌手の夢を実現しようと大きな決断を下したという点だ。リルジェイとティナは高校1年時に高校を中退している。

彼女たちは2年間、朝昼逆転の生活を送った。毎日、午後3~4時に事務所に出勤し、夕方までボーカルのレッスンを受け、夜に練習室へ向かうと深夜5時半までダンスの練習をこなした。リルジェイは<ハニーファミリー>のパク・ミョンホからラップのレッスンも別に受けていた。

「ユミとわたしは仁川(インチョン)出身だが、リルジェイは仁川で自炊生活をしていた。寒い冬、練習が終わり始発電車に乗るのだが、寒さに耐えるために必ず3人くっついて座り、うとうとしながら帰宅した。メンバー同士の支えが、夢を失わないようにする原動力となった」(ティナ)リルジェイは「わたしの限界はどこなのか試したかったし、わたし自身に勝ちたいという思いも強かった」と付け加えた。

また、練習時代の恩人はキム・ゴンモとチェヨンだった。「ゴンモさんはわたしたちにピアノや歌を教えてくださり、アルバムにはコーラスで参加してくださった。チェヨンさんも、どのように踊ったら美しく見えるかなどを指導してくださった」(メンバーたち)

デビュー曲『Sound (Ye Ye Ye)』は、始まりからファンキーなヒップホップビートで緊張感を与え、そこにR&Bが加味される。最近のアイドルグループに多いダンスミュージックとは異なる。「Oh Ye Ye Ye~」という繰り返させるメロディーが印象的で、手首と指をまわす振り付けは“駒ダンス”と名づけられた。

SHINee>のミンホがDJに扮し出演した同曲のミュージックビデオは、ソ・テジ、<SHINee>、<Epik High(エピックハイ)>、フィソンらのミュージックビデオを描けたホン・ウォンギ監督が演出した。

3人は自身たちの実力に大きな自負心を持っていた。ユミは「できるだけボーカルにオートチューン(音程補正機械装置)を排除し、ティナとわたしの音色と歌唱力を生かした。黒人の子どもたちのようなラップを見せるリルジェイの独特な魅力もよく表現されている。わたしたちはビジュアルではなく実力で勝負したい」と語った。

後発走者の彼女たちが、多くのアイドルグループの中で生き残るのは容易ではない。しかし、思い切った答えが返ってきた。「アイドルグループ競争の中で、差別化された音楽と実力で新たな流れを作りたい。また、ソロ活動と海外進出の夢もある。多くの人から、<VNT>のようになりたいと思われるように頑張りたい」

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