電車の中でお年寄りに席を譲った、祖母の肩たたきをしに行った、仕事で忙しいパートナーのためにたくさんの料理をふるまった…。これらは善意で行っていることですよね。しかし、世の中にはこんな言葉があります。「純粋な善意は存在せず、すべてが自己満足」あなたが善意で行ったことも、実は自己満足にすぎないのでしょうか。

上記のようなシチュエーションを含め、自分が善意で行った行動の中にほんのちょっぴりでも自己満足はありませんか?それが認められる場合、それは純粋は善意ではないというのが「純粋な善意は存在せず、すべてが自己満足」という考え方です。ちょっと極端ではありますが、やはり完全に善意だけで行動できる人の方が少ないのではないでしょうか。




ただ、自己満足だからといってそれを悪いこととは言えません。もしほんのちょっぴりでも自己満足の気持ちがあったら善行を働いたらいけないのだと思ってしまったら、世の中に対して良いことが1つもできなくなってしまいますからね。それよりは、たとえ自己満足であっても良いことをした方が良いでしょう。

自己満足があると、善意があっても自分がした行動を良いように捉えられなくなることがあります。ポジティブな行いから、ネガティブな行いへと変化するのです。罪悪感すらわいてくるかもしれません。




善意のあるふるまいをしたら気持ちが良いのは多少なりとも自己満足があるからかもしれませんが、それで自分も相手も良い気持ちになるのなら良いのではないでしょうか。たとえ偽善だと言われようと、しないよりはマシだと考えましょう。周りが何と言おうと良いことをしてとがめられる必要はありません。

良いことができるのは育った環境が良く、心にゆとりがある人だとも言われることがあります。確かに、環境によって性格は最適化されていきます。それでも、善意があるなら行動を起こした方が良い世の中になっていくのではないでしょうか。

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