松井久子監督=15日、ソウル(聯合ニュース)
松井久子監督=15日、ソウル(聯合ニュース)
【ソウル聯合ニュース】「50歳で監督に挑戦できたのは、高齢者のストーリーを取り上げられるニッチ市場があったからです」――。
 映画「折り梅」(2002年)の松井久子監督(65)の経歴は独特だ。雑誌のライターを10年、芸能プロダクションで俳優のマネジャーを10年、さらにテレビ局のプロデューサーとして10年活躍した。彼女が映画のメガホンをとったのは50歳のときだった。
 映画の公開を1週間後に控えた15日、ソウルのカフェで松井監督に会った。彼女は映画を撮るようになったいきさつを丁寧に説明した。


 「映画『ユキエ』のシナリオを書き上げた新藤兼人さんに監督をお願いしました。3年間苦労して資金を集めたというと、新藤監督が『君が作ってみなさい』と固辞されたんですよ。私がやらざるを得ない状況でした」
 当時、日本の女性の平均寿命は85歳。あと35年、生きていかなければならないのに、映画監督に挑戦できないという理由はないと考えた。高齢者のストーリーを扱える監督は多くないという点も、監督という世界に飛び込んだ理由の一つだ。「ニッチ市場を狙えば十分に勝算はある」と判断した。
 1998年に初監督作品「ユキエ」が公開されると、再び資金を集めて2作目の撮影に取り掛かった。1作目でしっかりと取り上げられなかった「認知症」について深く掘り下げようとしたという。
 「日本は高齢化社会。認知症は普通の人が誰でも経験する可能性があります。その素材を通して家族、社会そして究極的な人間を描けると信じていました。認知症の話と中高年のロマンスをともに描いた『ユキエ』だけでは、このテーマを伝えるには十分ではなかったと考えたこともあります」
 映画が公開されると、大きくはないが着実に反響が寄せられた。2002年から2年間で1350回上映され、公開から10年経った現在でも上映の問い合わせが来ているという。延べ観客数は200万人を突破した。
 「認知症患者をどのように看護するべきかという教科書的な映画でも、認知症になって苦しんでいる人たちのための映画でもありません。相手を理解しようとするなら、そのまま受け入れなければならないという普遍的なメッセージを持っているので、『折り梅』が世界の観客から好評を得たのでしょう」
 映画は興行的に成功しただけでなく、日本映画批評家協会の特別賞を受賞したのをはじめ、東京国際女性映画祭、モントリオール世界映画祭、上海国際映画祭などに招待され、作品賞なども受賞した。
 映画界に身を投じてから15年、松井監督は「ユキエ」、「折り梅」、「レオニー」(2010年)の3編を制作した。5年に1編というほどの寡作だ。「私が男性の監督だったら、もっと多くの映画を作っていたでしょう」と話す。
 「『ユキエ』も『折り梅』も成功したのだから、男性監督だったら次回作へのオファーを受けるでしょう。日本で女性監督として生きていくのは楽ではありません。スタッフの大部分が年長の男性なので、女性の命令を受けることに慣れていません。そのうえ、私は正式な監督の教育を受けていないので、(現場の)統制をとるのは簡単ではありません。男性中心社会の中で奮闘して撮りました」
 このように苦労を重ねて映画を撮影したが、映画作りはやりがいのある作業だという。1度観て捨てられる消耗品のような映画がはんらんする中、「折り梅」は10年に渡り長期上映され、着実に共感を得ているためだ。
 「日本でも10年間上映され、さらに韓国でも公開される。『折り梅』が時代と場所の壁を越えて消費される『文化商品』となったことがとてもうれしい」
 松井監督は、「この年でも健康に映画を撮れるのは、全世界で応援してくれる観客の力のお陰。長く残る映画を撮り続けたい」と語った。

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