就任のきっかけは同代表の洪明甫(ホン・ミョンボ)監督との縁だった。Jリーグで長年プレーした洪監督の現役時代に、韓国人選手の通訳を通じ親しくなった。池田さんのトレーニング理論に魅了された洪監督は、韓国20歳以下(U-20)の代表監督に就任すると、2009年のU-20ワールドカップ(W杯)で池田さんを臨時コーチに招き、8強入りを達成した。
大韓サッカー協会は、池田さんにロンドン五輪終了までの専任コーチ契約をオファー。池田さんは「サッカーに対する考えが一致し、人間的にも素晴らしい洪監督と一緒にできるのは光栄」と1月に契約を結んだ。
◇原点は学生時代の悔しさ
その池田さんと韓国との関係は、四半世紀以上前までさかのぼる。早稲田大学時代は高麗大学との定期戦で韓国に2度遠征。学生日本代表としても2度、韓国を訪れている。ただ、当時は韓国に歯が立たず、完敗続き。反日感情も激しい時代で、罵声はもちろんビール瓶が飛んできたとことあった。悲しい気持ちになったが、一方で「いつかはサッカーで良きライバルとなり、今とは違う日韓関係を築きたい」と思ったという。
ひざの大けがで、実業団(日本リーグ)の選手を7年で引退した後、フィジカルコーチの道を選んだ。浦和レッズや岡田武史監督の下、2年連続で年間王者に輝いた横浜F・マリノスなどでコーチングに磨きをかけた。そして洪監督との親交のほか、韓国プロリーグ・Kリーグの釜山アイパークからコーチに招かれるなど、今度は指導者として韓国とかかわりができた。
◇日本の長所を指導に
韓国U-22代表は27日に行われる中国との親善試合を控え、22日から蔚山での合宿に入った。コーチ就任後、初めての本格的な全体練習に、池田さんは選手別に強化ポイントを指定するなど、キメ細かいトレーニングを行っている。
韓国の選手について「日本人と比べると身体が強く、持久力やここ一番の集中力もすごい」と話す。ただ、プレーではピッチ全体やほかの選手を見渡すことが苦手。この点は、日本のスタイルを見習う必要があるという。「だからアップ一つをとっても、そういう感覚を養える工夫をしているんです」と話す。
池田さんは教え子たちについて、「最初は『日本人が一体何を教えるんだ』と思ったでしょう」と振り返る。それが今では、所属チームに戻った後のトレーニング方法など個人的な相談を受けるまで信頼関係が深まった。
チームは日本やオーストラリア、中東の強豪などと五輪の3・5枠を争う。出場権獲得は決して容易ではないが、池田さんは「五輪を経験できれば選手たち、韓国サッカーに大きな財産になる。なんとか行かせたい」と目を輝かせる。
インターネットなどで「どうして日本のためにではなく、韓国のコーチをするのか」などと批判されても、「韓国が強くなることで、日本も強くなる。アジアの両強豪のレベルが上がればW杯の出場枠増も狙える」。任された仕事をやり遂げるプロ意識。そして、最もグローバルなスポーツと言われるサッカーを支える一員としての心意気が見える。
大学生のころに誓った思いは現実になりつつある。ロンドン五輪が終わるまでは、目の中に入れても痛くない高校3年と中学1年の愛娘2人と離れ韓国で一人暮らし。大半がKリーグに所属している選手たちと心を一つにして戦う。
(聞き手=張智彦)
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