【ソウル26日聯合ニュース】「浮島丸事件」に関する5年にわたる政府の真相調査結果が発表された。
 浮島丸事件は終戦直後の1945年8月、輸送艦「浮島丸」が帰国の途に就く朝鮮人数千人を乗せ青森県から釜山へ向かう途中、京都の舞鶴に寄航した際に爆発で沈没し、多数の犠牲者を出した事件。

 政府や浮島丸事件被害者賠償推進委員会などが26日に明らかにしたところによると、国務総理室所属の「対日抗争期強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者など支援委員会」はこのほど、「帰国船浮島丸の沈没事件に関する真相調査報告書」を発刊した。

 報告書には、2005年から政府レベルで進められた浮島丸の「死没者名簿」分析や生存者との面談、文献調査などを通じた事件の評価が盛り込まれている。

 生存者と遺族は、浮島丸の爆発は日本による故意の爆破と主張しているが、日本は米軍が設置した機雷に触雷したものだと、これを否定している。犠牲者規模も、生存者らは3000人以上としているのに対し、日本側は約500人と公表している。

 委員会は、日本側が「便乗者名簿」をもとに乗船者を3735人と公表したが、同名簿の存在が確認されておらず、生存者が乗船者数を7500~8000人と供述しているため、日本が集計した乗船規模は受け入れ難いと判断した。

 また、日本が「死没者名簿」を根拠に朝鮮人死亡者を524人と主張したが、委員会に報告された死亡者26人が名簿になく、生存して帰国した4人が名簿では死亡者となっているなど誤りが多く、死亡者数を信頼し難いとしている。生存者らは、事故直後に海辺で数百体の遺体が火葬されたと証言しており、実際の死亡者数は524人をはるかに上回ると委員会はみている。

 爆破原因に対しては、決定的な根拠がなく、明確な結論を下さなかった。委員会は「疑惑が多く残っているのは、日本が事故直後に実態調査を十分にしていないため。日本は当時作成された便乗者名簿、遺骨収容名簿の提供などに積極的に協力すべきだ」と話した。

 一方、同事件の被害者賠償推進委員会関係者は、「いまだ海底にある船の底を直接確認するなど現地調査から進めるべきで、双方の話だけをまとめることは真相調査ではない」と指摘した。その上で、韓日両国が調査団を構成し、65年以上も舞鶴海底に放置されている5000人余りの遺骨を引き揚げるべきだと促した。

Copyright 2010(C)YONHAPNEWS. All rights reserved. 0