外交文書には、「韓日両国の関係と国民感情、世論、内外の政治的状況などを考慮すると、国際刑事事件の枠を超えており、真相が究明されていない状態では、政治的な解決が必要」と記されている。
これによると、日本は独自の捜査結果を基に、事件当時駐日韓国大使館で勤務していた金東雲(キム・ドンウン)1等書記官を拉致犯の1人とにらみ捜査を進めていた。しかし、1973年11月2日に東京で金鍾泌(キム・ジョンピル)首相(当時)が田中角栄首相と会談。韓国政府が金前大統領の自由を保証することを条件に、政治的決着が行われた。田中首相は、金書記官の免職処分など「韓国政府の発表を誠意あるものと高く評価し、事件に終止符を打つことで閣議で了解を得た」と述べた。同席した大平正芳外相も、「朴正熙(パク・チョンヒ)大統領の親書や金首相の遺憾の意を受け、外交的な折衝を終えることを明らかにした」と語った。
この前日の11月1日、金溶植(キム・ヨンシク)外務部長官は、日本政府に対し「金書記官を免職するとともに今後も捜査を続け、結果に応じ法的に処理する」と述べ、金書記官の事件関与を認めたと受け取れる発言をしている。しかし、翌日の首脳会談で金首相は、「事件に政府の介入は断じてなかった。金書記官の取り調べが韓国側に一任された以上、この問題を韓日閣僚会議や両国の経済協力に結びつけられては困る」と主張した。この席で田中首相に渡された親書の中で朴大統領も、「今回の事件で両国の友好関係に亀裂が入るのは非常に不幸なこと。今後同じような事態が起こらないよう最善を尽くす」と伝え、田中総理もこれを受け入れた。
金大中事件は、71年の大統領選挙で朴正熙(パク・チョンヒ)大統領に敗北後、日本や米国などで民主化運動を進めていた金大中氏が、73年8月8日に東京のホテル・グランドパレスで拉致され5日後にソウルの自宅前で発見された事件。日本は事件直後、警視庁に特別捜査本部を設置し、現場の指紋などから金書記官を容疑者と判断、翌月9月初めに韓国政府へ金書記官の取り調べを要請したが韓国側に拒否された。日本は9月に予定されていた韓日閣僚会議を国内事情を理由に延期したほか、両国の経済協力への影響も示唆した。しかし、韓国政府が依然として捜査協力に応じなかったため、事件の真相究明は行き詰っていた。
今回公開された外交文書は73~74年に韓日間でやり取りされたもので、これまでは国家の安保と利益、個人のプライバシー侵害などを理由に公開していなかった。
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