村山氏は大分県出身。明治大学専門部政治経済科を卒業後、大分県職員労働組合で労働運動に加わり、社会党に入党。1955年の大分市議選に当選し、政治家としての歩みをスタートさせた。県議を経て、72年の衆院選で初当選を果たした。非自民連立政権の細川、羽田両連立内閣後、94年に首相に指名され、「自社さ連立内閣」を発足させた。在任中には、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などの対応に当たった。また、戦後50年となる95年8月15日の終戦記念日に、談話(村山談話)を発表。「わが国は国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の被害と苦痛を与えました。改めて痛切な反省の意を表し、心からのおわびの気持ちを表明致します」などとした。大規模災害や凶悪事件、様々な政治的課題に向き合い、96年1月に首相を辞任。2000年6月に政界を引退した。長い眉毛がトレードマークで、「トンちゃん」の愛称で呼ばれるなど、庶民派宰相として親しまれた。その村山氏は今月17日、老衰のため大分市内の病院で死去した。101歳だった。
村山氏が死去したことについて、韓国メディアも相次いで速報した。朝鮮日報は「平和を訴えてきた村山元首相は、日本による侵略や植民地支配をめぐる歴史問題の解決や周辺国との関係改善に力を入れた」と首相在任中の功績を伝えた。通信社の聯合ニュースは、村山氏が95年の談話で「日本の総理として初めて植民地支配を『侵略』だと公式に言及した」と紹介。談話の内容は「(当時の)日本政府の雰囲気を考えれば、かなり前進したものだった」と解説した。
与野党も哀悼の意を示した。与党「共に民主党」は、村山氏について「真摯(しんし)な謝罪と歴史認識を示した勇気ある指導者だった」と評した。村山談話については「韓日両国が不幸だった過去を越え、相互理解と和解、未来志向の協力関係に進むことができる精神的土台になった」とした。一方で、「今の日本の一部指導者が村山元首相の真の反省と謝罪の精神を継承せず、歴史問題に退行的な態度を見せるのは残念だ」とし、「日本の政界が故人の意思を再確認し、歴史を前に謙虚に立ち、村山精神を土台に韓日関係改善に努力することを求める」とした。
最大野党「国民の力」も、村山氏について「植民地支配と侵略という行為が莫大な被害と苦痛を与えたという歴史的事実を認め、謝罪することは謝罪し、補償すべきことは補償するという決意を示した。東アジア諸国との関係改善の重要な土台になった談話で日本の良心を示した。歴史の重要な転換点をつくった人物」と評した。その上で、「歴史を直視して未来に向かおうとする足跡は今日まで日本と周辺国が真の和解を成し遂げるのに必要な方向を示している」とし、「日本は今からでも村山元首相の精神にのっとり、過ちを省察して真の謝罪をする勇気を出さなければならない」と求めた。
イ・ジェミョン(李在明)大統領も17日、自身のSNSに「大韓民国の国民を代表して衷心より哀悼の意を表する」とした。その上で、「村山元首相は周辺諸国との和解と共生のためにも格別な努力を行った」とし、「村山談話」について「日本のみならず隣国の人々の心に深く響き、感銘を与えた」と評価した。さらに、李氏は「歴史を直視し、未来に向けて歩まれた村山元首相の崇高な志をたたえ、韓日関係の発展に貢献された故人の功績と献身を永く記憶にとどめたい」と投稿した。李氏は同じ内容の追悼メッセージを日本語でも掲載した。
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