16日、政治界によると、自由大学は前日午前、ソウル中区崇礼門南側広場にカークを偲ぶ追悼スペースを設置した。
団体側は追悼文で「カークは若い世代や多数の市民に政治参加と責任の重要性を示し、アメリカを超えて韓国を含む世界中に自由と保守の価値を伝えた。あなた(カーク)が蒔いた自由の種が再び実を結ぶまで戦い続ける」と述べた。
この場所には、生前の活動を写した写真や星条旗、菊の花などが置かれた小さなテーブルが設けられた。テーブル周辺には「真の自由は必ず勝利する」「私たちはチャーリー・カークだ」といった内容が英語で書かれた立て札も並んだ。
自由大学の会員3人は、自ら「喪主」を名乗り、訪れる弔問客に頭を下げ続けた。彼らは「カークは私たちのロールモデルだ」と述べ、「自由大学を韓国の『ターニングポイント』に発展させる」という目標を掲げた。ターニングポイントUSAはアメリカの保守団体で、トランプ大統領の強硬支持層である。
彼らがカークが亡くなった直後ではなく15日を選んで分香所を設置した理由について、団体関係者は「1950年9月15日はマッカーサー将軍が仁川上陸作戦を展開した歴史的な日であり、マッカーサーを記念しつつチャーリー・カークを追悼するため」と説明した。
このように彼らはマッカーサー将軍にも特別な意味を与えており、先月11日には仁川中区自由公園のマッカーサー像前にも追悼スペースを設けていた。
像の前にはカークを追悼する写真や横断幕が掲げられた。亡くなる数日前に彼がこの場所を訪れていたことが知られると、いくつかの保守団体やユーチューバーが弔意の花輪を送るなど、追悼が続いた。
カークは亡くなる5日前の先月5日、京畿道高陽市のキンテックスで開かれた「ビルドアップ・コリア2025」イベントに参加した。訪韓期間中、彼は韓米同盟の象徴であるダグラス・マッカーサー将軍像を訪れて追悼し、非武装地帯(DMZ)も訪問した。
当時彼は「マッカーサー将軍は私の英雄だ。朝鮮戦争でのアメリカの役割は尊く、そのおかげで韓国が今日の自由国家として存在していると思う」と述べた。
また韓国情勢について「トランプは韓国政府を注視している」と述べ、「私はアメリカ政府を代表しているわけではないが、韓国が今のように行動すれば、アメリカは正しい道のために立ち上がり戦うだろう」とも語った。
首都圏の主要名所に設けられたカーク分香所には、外国人たちも興味深げな目を向けた。イタリア人A氏は「アメリカがもはやヨーロッパと共にあると感じない」と述べ、「似た状況にある韓国で、これほどトランプを支持する人々が多いとは驚きだ」と語った。
一方、フランス人B氏は「フランスも移民や労働、安全保障などさまざまな問題がある。チャーリーは私たちと同じ考えを持つ人だが、銃撃で亡くなり衝撃を受けた」と話した。
韓国人の反応も極端に分かれた。京畿道安養市在住の30代D氏は「表現の自由があるアメリカで、発言に反感を持ったことで人が亡くなったことに衝撃を受けた」とし、「カークをなぜ極右と呼ぶのか分からない。極右の概念を誤って適用している。極右ではなく保守主義者という名称が正確だ」と付け加えた。
公園を訪れ、カーク追悼の花輪に献花していたE氏は「大学生の前でキリスト教精神と民主的思考を熱心に語るのを見て感銘を受けた」と述べ、「彼があの若さ、31歳で亡くなったことが本当に残念だ」と涙ながらに語った。
しかし、生前の極端な発言について不快感を隠さない見方もあった。カークは中絶反対の討論で「10歳の娘が性的暴行を受けて妊娠した場合でも出産すべきだ」と主張した。また死刑制度については「迅速に執行され、テレビで中継されるべきだ。12歳から見られる」と発言したこともある。
家族と公園を訪れ、偶然追悼スペースを目にしたF氏は「社会的対立を自分の政治的な糧として利用していた人が、結局自分の主張した最も極端な方法によって死を迎えたのではないか」と述べ、「韓米同盟とは別に、ここまで追悼する必要はないと思う」と語った。
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