【ソウル29日聯合】1919年3月1日の独立運動を記念した「3・1節」を、北朝鮮では「3・1人民蜂起」と呼び、日本による植民地時代に「自主独立を念願」した、「植民地統治下で積み重なったわが人民の恨みと怒りの爆発」とみなす。しかし、3・1運動の発生地を平壌、中心人物は故金日成(キム・イルソン)主席の父親、金亨稷(キム・ヒョンジク)とするなど、やはり金日成家系の偶像化に活用している。
 北朝鮮は1970年代後半までは3・1運動を、「ロシア10月革命(1917年)の影響を受け、数十万のソウル市民が反日闘争を起こし発生したもの」と記述してきたが、1980年以降は、平壌にあった崇徳女子高に数千人が集まる中で学生代表が独立宣言書を朗読したことが始まりだと主張している。こうした北朝鮮中心の主張にもかかわらず、3・1節を祝祭日に指定せず、1980年代には「3・1人民蜂起記念報告会」を開催していたが、1990年に入ると特に行事も行っていない。

 一方、北朝鮮のメディアは、この日に北朝鮮住民が平壌にある中央階級教養館の反日関連の展示場を訪れ3・1運動の意義を振り返っていると伝えている。昨年の場合も平壌放送が、同展示場に数千人余りの各階層の労働者や青少年が訪れ日本帝国に対する復讐心に胸を燃やしていると報じた。労働新聞も同日の社説で「朝鮮独立万歳、日本人と日本軍隊は出て行けなど叫びながら、老若男女の別なく国と民族を愛する各層の広範な愛国的な人民が反日抗争にともに乗り出した」「日本帝国の植民地統治に甚大な打撃を加えた」と、3・1運動を評価した。メディアはこの日になると、「反外勢闘争」を促し民族共助を強調する報道を出している。

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