韓国市民団体「日帝強制動員市民の集まり」によると、キムさんは30日に亡くなった。
キムさんは1944年3月に小学校を卒業後、同5月に三菱重工業の名古屋航空機製作所に動員された。日本人の募集担当者から「日本に行けば勉強できる」と勧誘されて日本に渡ったが、同製作所で部品を削ったり、塗装したりするなど1日中働かされた。終戦による植民地支配からの解放後に帰国。夫との結婚生活に大きな困難はなかったが徴用被害者を「慰安婦」と誤解する人が多かった。
キムさんは生前、強制労働させられたときを振り返り、「なぜ幼い子たちにあんなことをしたのか、なぜ今まで謝罪の言葉が一切ないのか理解できない」と語っていた。
キムさんは2014年2月に三菱重工業を相手取り提訴した損害賠償訴訟の原告4人のうちの1人。
一・二審では同社に対し、原告1人当たり1億ウォン(約1100万円)から1億5000万ウォンの賠償を命じる判決が言い渡された。現在は大法院(最高裁)で係争中となっている。
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