「施政演説」は、政府が国会に提出した予算案に関して、大統領が主要な政策と国政運営方案を国民に説明する場である。尹大統領はこの日「グローバル複合危機にどのように対応し、どのように民生懸案を解決していくのか、その総体的な悩みと方案を盛り込んだ」として、予算編成基調を説明した。つづけて「緊縮財政が求められるが、社会的弱者への福祉をより手厚くする方案は積極的に推進する」ということも強調した。
しかし民主党の不参加により、施政演説の意味は半減してしまった。大統領が直接出席した施政演説のボイコットは、韓国の憲政史において前例がないことだ。「民生」は放り出されたまま、ひとえに与野党の対立にしがみついた低級な韓国政界レベルの素顔が、あらためて生々しくあらわになった。
民主党が国民の生活に直結した施政演説を拒否したことは、どんな理由があるにせよその責任を免れることはできない。民主党・中央党舎内の民主研究院への検察による家宅捜査に対する「抗議」の次元だとしても、それは決して理由にはなり得ない。検察の捜査方法が不満なら、適法の範囲内でいくらでも改善を要求すればよい。大統領の演説ボイコットは、民生を不毛にすることに他ならないからだ。
また韓国政府と与党も、「民生喪失」の責任から逃れられるわけではない。いくら裁判所で令状が発布されたとしても、弾力的な執行は可能なはずだ。国政監査が行なわれ、国会の協力が必要な予算案の施政演説を控えたデリケートな時期に、あえて野党を刺激する家宅捜査をする必要があったのかということだ。国政運営に支障が生じ民生をしっかり支援できなければ、その究極的な責任は大統領と与党がとらなければならない。
与野党が対立する時、これを解決するのは結局「政治力」だ。与党が「法の通りに」とだけ叫び、腕組みだけをしている時ではないということだ。その間に「民生」は、果てしなく奈落の底へと落ちている。
施政演説だけではない。尹政府に対する初の国会国政監査も、終始「機能不全」の連続だった。国政監査の期間、与野党は互いに向けた「舌戦」だけが繰り返された。当初、与野党が約束していた「民生の国政監査」「政策の国政監査」はどこに行ってしまったのか。「政治」が回復してこそ「民生」も生き返る。
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