1910年代まで一部の外国古地図で、今は中国の領土である間島が韓国の領土として記されていたことが確認された。建設交通部下部機関の国土地理研究院が20日、明知大学の国際韓国学研究所に依頼し、外国の古地図400点を収集・分析した結果を明らかにした。研究では、16~19世紀に製作された古地図に表された韓国の形態や境界、地名などを集中分析した。特に東海、間島、鬱陵島、独島、大韓海峡の表記に注目した。
 その結果、間島は18世紀初めから1910年まで韓国の領土として表示されていたことが分かった。製作者により国境表示は若干異なるが、100点余りの地図が間島地域を韓国領土と記している。研究にあたった明知大学のイ・ドンス教授は、国権喪失後の1909年に日本と清の間で間島協約が結ばれ、これ以降製作された地図は間島を中国領土として表記し始めたと説明している。

 独島と鬱陵島の場合、1735年にフランスのダンビルが作成した朝鮮全図で千山島(独島)、ファンリン島(鬱陵島)と表記された後も、ダジュレー(鬱陵島)、アルゴノート(仮想の島)、リアンクールロック(独島)、鬱陵島、于山島などさまざまな表記があったが、19世紀初めまでは日本式の名称が使われたケースはなかった。日本式の名称は、1827年にロシアで発行した太平洋海図州で竹島と松島と表記されるなど、19世紀以降に西洋の古地図に登場した。

 大韓海峡については、17~18世紀はこの表記だけが使われていた。しかし、1874年に日本で製作された朝鮮地図に対馬海峡という名称が使われてからは、一部の地図で対馬海峡と表記され続けている。


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