東京千代田区のグランドパレスホテルの最上階の客室で昼食を終え、日本の政治家との約束のために外出した金大中氏を韓国人の不審者5人が拉致した。皇居の隣に位置するホテルでの大胆な犯行だった。
金大中氏は、パク・チョンヒ(朴正熙)大統領(当時)の維新宣言によって亡命を決意し、日本で反政府闘争を展開した。朴大統領を脅(おびや)かすほど政治的に成長した金大中氏を排除するために、中央情報部が彼を拉致して殺害しようとしたのだ。
拉致された金大中氏は工作船「ヨングム号」に乗せられ、沖合に向かった。しかし、朴正熙政権が見過ごしていたことがあった。金大中氏の位置を米国CIAが把握していた点だ。日本海上にいた金大中氏を未詳の飛行機が発見し、拉致されてから129時間後に金大中氏はソウル・トンギョ(東橋)洞の自宅で解放された。
これは国際的に大きな非難を受けた事件であり、利害関係が入り組んでいるためにいまだに明らかにされていない事件でもある。ヨングム号を発見した飛行機の国籍すら分かっていない。米国と日本はいずれも金大中氏の発見を否定している。
拉致を指示したのがどこなのかさえ交錯している。当時最高権力者だった朴正熙氏はもとより、中央情報部長だったイ・フラク(李厚洛)氏も明確な供述をしなかった。李厚洛氏は朴正熙氏による指示を暗にほのめかしたが、後にこれを否定している。ただし、中央情報部が事件に深く関与していたことは確かだ。
殺人未遂に終わった拉致事件により、朴正熙政権は国内外で非難の対象になった。大学を中心に維新反対運動が拡大し、宗教関係者たちも改憲運動に乗り出すなど反発が激化した。
韓国の国際的な威信も地に落ちた。日本からは主権侵害に遭ったという世論が強まり、日韓関係が悪化した。北朝鮮も南北対話の中断を宣言し、米国も朴正熙政権を圧迫した。ちなみに、同事件に加担したキム・ギワン(金基完)元駐日大使は後日、駐韓米国大使として赴任するソン・キムの父親にあたる。
金大中氏は事件が発生して2か月後に「朴大統領が現在行っている政治では絶対に駄目だという考えを強く持っている」としながらも「朴大統領を含め、いかなる個人に対しても個人的な恨みや復讐心は永遠に持たない」と述べている。
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