7日にソウルで開かれた韓米協会主催の「韓米親善の夜」で韓米友好賞を受賞したグレッグ会長は、あいさつを通じ、1973~1975年に中央情報局(CIA)職員として韓国に赴任した際、1950年以前に米国が韓国で行ったことについ初めて知ったと明らかにした。米国宣教師らの功績などもあったが、1866年に通商を求め平壌を訪れた米国のジェネラル・シャーマン号が攻撃された事件、1871年の米艦隊による漢江河口の韓国要塞破壊事件、1905年の桂・タフト協定、1945年の米国による不注意な朝鮮半島分割などについて、知るようになったと振り返った。
その上で、「わたしは後になってこうした行為の持つ意味を知り、日本の韓国占領に道を開いた桂・タフト協定、朝鮮戦争につながった1945年の南北分断など、朝鮮半島の悲劇的な出来事に対し、米国が少なくとも部分的に責任があると強く考えるようになった」と述べた。こうした考えから、グレッグ会長は駐韓米国大使への就任を強く希望し、韓米交流機関であるコリア・ソサエティーでの責務を積極的に受け入れるようになったとしている。
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