文学評論家のチョン・ヨウルさんは、「村上春樹を嚆矢(こうし)とする日本文学の異国的情緒は、実は米国的大衆文化の普遍化という世界的な流れにぶつかったもの。村上春樹以降の日本の文学に現れる文化的趣向は一様に米国ポップ文化だ」と指摘した。また、日本文学は多媒体時代に生き残ることに成功したが、それは文学的ななにかに対する省察の結果というよりは、マーケティング戦略と大衆文化的要素の活用によるものだと批判的な見方を示した。
仁荷大学韓国学研究所のキム・ギョンウォン教授は、「韓国文学低迷の原因を日本小説のせいにするのは果たして妥当か」と疑問を投げかけ、日本小説が韓国文学のすきまに入ってきたのか、韓国文学の空白を埋めているのかは断言できないとしている。キム教授は日本小説の長所として、具体的なストーリー、新鮮な素材と創作技法、重くも軽くもないテーマの3つを挙げ、男女関係、愛をめぐる問題など日常的なテーマを繊細に表現していると評価した。また、韓国小説よりも伝統社会から脱皮した姿を見せており、文学性が落ちているものでもないとした。
詩人のチャン・イジさんは、「文学がエンターテインメント化するということが文学の威儀を失墜させるかもしれないが、文学が変わる準備ができていないまま文学の危機だけを強調するなら、それも惰性に流されることになるのではないか」としている。ただ、韓国の読者は村上龍の小説の退廃的雰囲気を、全共闘時代の意識や、米軍基地がある沖縄問題と関連付けて読んではいないとし、日本小説が広く読まれている点が問題なのではなく、脱歴史化され読まれている点が問題だと指摘した。
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