武装勢力のタリバンは、21日正午までにアフガン駐留韓国軍部隊の撤収を求め、要求に応じない場合には人質を殺害すると脅迫してきた。これを受け盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は、期限2時間前に米国のニュースチャンネルCNNに出演し、人質の解放を求めるメッセージを生中継で全世界に伝えた。
最初の期限が過ぎた後、タリバンのアフマディ報道官は、22日午後2時30分に期限を延長するとともに、タリバンの収監者23人を解放しなければ人質を殺害するとし、さらに交渉期限を22日午後7時まで延長した。
事態を重く見た政府は、外交通商部次官らを現地に派遣し、現地部族の長老らに交渉仲介を依頼するなど水面下で本格的な接触に着手した。
タリバン側は交渉期限を再三にわたり延期していたが、進展が見られないことから今度は韓国政府との直接交渉に乗り出した。
タリバン兵8人と人質8人の等数交換に要求を切り替えたタリバンは、25日になり交渉の失敗を宣言し、人質となっている支援奉仕団のリーダーを務めていたペ・ヒョンギュ牧師を殺害し、韓国政府に揺さぶりをかけてきた。この過程では人質8人が解放されたとの報道もあったが、後に誤報と判明し、さらに緊迫した状況が続いていった。
ペ牧師の殺害での衝撃が広まる中、人質のイム・ヒョンジュさんが26日に米CBSとのインタビューを通じ、拉致発生後初めて人質の安否が伝えられた。
タリバンは27日に交渉期限の無期限延長を宣言し、韓国政府は白鍾天(ペク・ジョンチョン)特使を急きょ派遣してアフガンのカルザイ大統領に協力を求めた。しかしタリバンは30日になり交渉失敗を宣言し、人質殺害を決定したと伝えた。その後シム・ソンミンさんが殺害されたことが確認された。
タリバンは女性人質とタリバンの女性収監者の等数交換を要求し、韓国とタリバンによる対面交渉は8月10日なりようやく実現した。11日に女性2人解放のニュースが伝えられ、13日にキム・ギョンジャさんとキム・ジナさんの2人の身柄が現地の赤新月社に引き渡された。
タリバンはその後も収監者釈放を執拗(しつよう)に要求し、18日には韓国側の交渉態度に不満を示してさらなる人質殺害を警告した。
こう着状態となった交渉は、外信が19人の解放合意説を流して以来急進展していった。米CBSが27日に、タリバンが対面交渉後に女性3~4人を解放する可能性があると報じた翌日の28日、韓国とタリバンの交渉団はアフガン・ガズニ州で対面交渉を再開し、拉致事件は発生から41日目にしてようやく悪夢の日々に終止符を打つことになった
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