日本政府の防疫失敗への怒りが高まっている。すでに3度目の緊急事態宣言を発令したにも関わらず、防疫指針は次第に非科学的に流れているという不満が高まっている。“飲酒してはいけない”という禁酒令に続き、“明かりが漏れないようにしろ”という21世紀版の灯火管制のことだ。
◇“午後8時以降、街の電気を消そう”という要請に「コロナが蛾なのか」と非難
東京都の小池百合子知事は23日、「午後8時以降には街灯以外の照明を消すよう、飲食店などに要請する」と述べた。商店の看板や照明を消して通りに人が集まることを防ぐということだが、当然、反発は激しい。「新型コロナウイルスが光に引き寄せられる蛾なのか」という皮肉から、街が真っ暗になる前に帰ろうとする人が電車にごった返すのはどうするつもりなのかという問い返しも出ている。
「コロナが蛾なのか」という失笑、笑って済ますことはできないという雰囲気が強い。街全体の灯りを消すと自治体の休業要請に従わない店舗を摘発しやすくなったからだ。これまでは休業を自主的に任せてきたが、灯火官制が始まると自営業者らがお互いの機嫌を伺い、事実上の“強制”になるかも知れないという懸念だ。結局、日本政府の防疫失敗の責任を国民に転嫁しようとする一種の『ビルドアップ』ではないかという疑問が出るのも無理もない。
◇休業に賛同すれば1日の支援金は2万円、休業監視パトロール隊の人件費は2億円
東京都は今月31日までに延長された緊急事態宣言期間中、休業要請に賛同した自営業者に1日2万円の支援金を支給する。強制的に売り場の営業を中止したドイツの場合、固定費の最大90%を支給しているのとは大きな差があるという指摘だ。
日本政府のコロナ対策をずっと批判してきた弁護士の大前治氏は日本の週刊誌『現代ビジネス』に「日本は補償金を十分に支払えないため、とても営業禁止まではできずに自発的な休業を要請している」とし、「逆に言えば、“政府が休業を強制しないので完全な補償は必要ない”という論理」だと指摘した。また「東京オリンピックに金をつぎ込むことは惜しまず、休業で苦しむ自営業者に対する補償には消極的だ」と付け加えた。
防疫失敗の責任を国民に転嫁するかのような動きは、東京都だけでなく大阪府でも見られている。先月5日、大阪府の吉村洋文知事は2億円をかけて飲食店休業を監視する40~50人規模のパトロール隊を構成すると決定した。経済的な補償ではなく、監視と圧力で休業を事実上強制化する考えだ。
日本人はまさにこの動きに憤慨している。吉村知事は2019年の就任後、公共医療や保健行政を縮小してきたが、このせいで現在の大阪府内の医療崩壊を招いたという批判を受けてきたためである。実際に今月3日基準の大阪府の新型コロナ重症患者の病床使用率は99.7%に達するほど飽和状態だ。政策の誤判に対する責任は不問に付して、大阪府民のせいにするかのように監視を強化するという脅しを素直に受け入れないという怒りだ。
◇21世紀版の灯火管制、80年前に失敗した戦略を連想させる
東京都の灯火管制要請が、過去の戦争のトラウマを想起させるという指摘もある。日本は日中戦争直前の1937年に防空法を制定したが、国民に“空襲が起きても逃げずに火(火災)を消せ”という命令である。太平洋戦争勃発直前の1941年に改正した防空法ではここに“明かりを消せ”という内容が追加された。夜間に敵に位置を露出させないため、すべての家庭から明かりが漏れることを防ぐ命令だ。これに違反した場合、最大懲役1年の刑に処された。
しかし、明かりを隠しても空襲を避けることはできなかった。1940年代の米国はすでに夜間用レーダーを搭載した戦闘機を開発するだけの技術力を保有していたためだ。結局、1945年3月10日未明、当時の最先端技術の結晶である爆撃機B-29300機余りが東京都区部に爆撃を浴びせた『東京大空襲』が発生し、一晩だけで死者が10万人を超えた。技術力を前面に押し出した米軍爆撃の前で光を遮り、夜間空襲を避けるという日本の対策はお手上げだった。
新型コロナの拡散を防ぐために午後8時を過ぎれば街の電気を消すという発想も同じだ。効果があるかどうかが疑問であるだけでなく、感染拡散を防ぐ責任が国民にあるというムードづくりに一役買っているという批判が出ている。現代版灯火管制の要請に、国民が国家の命令に従って着実に灯りを消したにもかかわらず米軍爆撃機の前で無残にやられざるを得なかった過去の記憶が思い浮かぶのは偶然ではないだろう。
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