文化財研究所が11日に明らかにしたところによると、見つかったのは景福宮内部の排水路の役割をしていた「御溝」と、これにつながる水門の役割をしていた「虹霓」の一部分。景福宮の殿閣を描いた北闕図(1868年)では光化門の東側に虹霓2つが記されているが、今回発見された遺跡の位置とほぼ一致していることから、景福宮の遺跡である可能性が高い。
文化財研究所景福宮発掘団のチェ・インファさんは、上部のアーチでなく橋脚とみられる部分だけが確認されたとし、北闕図上の位置だけで景福宮の虹霓だと断言はできないとしている。
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