世宗大学の保坂祐二教授=10日、ソウル(聯合)
世宗大学の保坂祐二教授=10日、ソウル(聯合)
1870年代、明治政府当時の日本外務省内には鬱陵島を開拓しようという意見が上がり、1905年に独島を日本領土に編入したことは、ここから始まっていると指摘する独島研究論文が出された。

 世宗大学の保坂祐二教授は10日、韓日関係史学会主催の国際学術大会で「開港期の独島問題:19世紀日本の独島認識分析」と題した論文を発表した。それによると、当時の渡辺洪基・外務省記録局長は、鬱陵島の開拓を求める民間人の建議書を受け鬱陵島と独島の関係を調査し、外務省に意見書を提出した。意見書は「万一すでに朝鮮の手が届いているなら、統治状況を調査し策を講じる必要がある」としており、艦船を現地に派遣し調査を行う意向を示している。これが独島をはじめ鬱陵島までを掌握しようという意思の現れだと指摘した。

 また保坂教授は、当時の外務省内では、独島は朝鮮の領土だと主張し江戸幕府の考えを受け継ぐ意見と、独島を日本の領土に歪曲(わいきょく)させ鬱陵島を開拓しようとする意見があったが、日本政府は後者の意見を採択し、1905年に独島を島根県に編入させたと説明した。


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