サッカーの2006・ワールドカップ大会(W杯)で決勝トーナメントに進むことはできなかったものの、「街の応援」では勝利した。総486万人(トーゴ戦218万、フランス戦100万、スイス戦168万人)が参加した「街の応援」は、W杯を契機に韓国を象徴する「ブランド」に浮上した。日常を逸脱する「喜びの場」だった。多くの人々が押し寄せたが、成熟した市民意識を見せてくれた「学習の場」でもあった。

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◇喜びと祭りの場=サッカーの2002・W杯ではマニアファンが中心だった。だが今回は試合よりも応援そのものが中心となった。単なるサポートではなく祭りに位置付けられた。遊びと楽しさ、踊りと応援歌が調和したもう一つの形の文化だった。3回の試合の度に集まった人々は、「街の応援」自体を満喫する市民と学生だった。街の応援では、光化門(クァンファムン)交差点を誰でも思いきり「占拠」できた。

フェイスペインティングや太極旗(テグッキ、注:韓国の国旗)の服も珍しくなかった。「W杯ファッション」という言葉も登場した。見知らぬ人とも拍手し抱きあったり、踊ったりした。中央(チュンアン)大・申光栄教授(シン・グァンヨン、社会学)は「街の応援では日常的な自己表現から抜け出し、それぞれ自由に思う存分個性を表現できた」とし「これまで韓国社会になかった祭典の場が設けられた」と説明した。

◇韓国の代表ブランド=全国に広がった赤い波は韓国人だけでなく外国人も魅了させた。文化観光部によると、W杯応援を楽しむ「韓国観光ツアー」が作られ、約2500人の外国人が韓国入りした。実際に市庁と光化門では、赤いTシャツ姿で「お~必勝コリア」を叫ぶ外国人に会うことができた。トーゴ戦の応援に臨んだあるカナダ人は「こんなに多くの人が同じ色の服を着て、応援する場面は生まれて初めて」と感歎した。

米紙ロサンゼルスタイムズは「W杯応援では韓国が当然優勝」と報じた。街の応援は、ドイツでも再演された。ドイツは韓国の「街の応援」を真似て、フランクフルトなどW杯試合が行われる各都市に広場「ファンフェスト(Fan Fest)」を設けた。02年に世界を驚かせた街の応援が、国際的な応援文化になり、韓国を世界に知らせているのだ。

◇市民意識も成長=13日のトーゴ戦で問題になった無秩序さは、フランス戦(19日)の時点から消えた。トーゴ戦の直後、車両にのぼり大暴れする姿やゴミがいっぱいになった風景などがインターネットに掲載された後、市民は自ら「恥ずかしい」、「自制しよう」と約束した。フランス戦とスイス戦(25日)の応援では、自発的にゴミを拾った。

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