<W解説>浮島丸事件、犠牲となった朝鮮人の遺骨が返還される日はいつに?(画像提供:wowkorea)
<W解説>浮島丸事件、犠牲となった朝鮮人の遺骨が返還される日はいつに?(画像提供:wowkorea)
1945年8月24日に京都府の舞鶴湾で朝鮮人労働者を乗せた日本海軍の輸送船が爆発し、沈没した「浮島丸事件」で、日本の市民団体3団体が遺骨の早期返還を求める要望書を今月19日、厚生労働大臣に提出した。犠牲者の遺骨は多くが現在も東京・目黒区の祐天寺に預託されている。市民団体は「朝鮮人犠牲者の遺族は高齢化し、遺骨を祖国に迎えたいと望んでいる」と早期返還を訴えている。

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 旧日本海軍の輸送船、浮島丸は、日本に強制連行され、青森県の下北半島で鉄道敷設工事などに従事していた朝鮮人労働者とその家族ら3735人を乗せ、青森県むつ市の大湊から韓国のプサン(釜山)に向かっていた。しかし、寄港した京都府舞鶴市の下佐波賀沖の舞鶴湾で突如、爆発して沈没した。

 日本側の発表では、朝鮮人524人と日本人25人が死亡した。しかし、生存者や犠牲者の遺族らは、死者が数千人に上ると主張している。祐天寺には、引き取られていない遺骨が現在も安置されている。

 この出来事は、当初、日本では報道されず、翌月、韓国の報道によって明らかになった。

 浮島丸が爆発した原因は、米軍が設置した機雷によるものとされているが、韓国や北朝鮮は、今もなお日本側が意図的に爆破したと主張している。韓国人の生存者や遺族ら80人は1992年、日本政府に約28億円の賠償などを求めて集団訴訟を起こしたが、2004年11月、最高裁第3小法廷が原告側の上告を棄却する決定を下し、原告側が逆転全面敗訴した大阪高裁判決(2003年5月)が確定した。

 一方、浮島丸事件を扱った映画も存在し、日本、韓国、さらには北朝鮮でそれぞれ制作されている。日本では京都市民のグループが「エイジアン・ブルー 浮島丸サコン」と題する映画を制作し、1995年に上映された。同作品は2004年の韓国・クァンジュ(光州)国際映画祭参加作品に選ばれた。韓国では2019年9月にドキュメンタリー映画「浮島号」が公開。北朝鮮は2000年に「ソウルズ・プロテスト」と題した映画を制作した。この2作品は、いずれも日本側による船の爆破が描かれている。

 爆発原因など、未だ多くの謎に包まれているこの事件だが、舞鶴市とむつ市では、地元住民らで作る会によって追悼集会が開かれている。事故から77年となった今年の8月24日にも、舞鶴市下佐波賀(しもさばか)の「殉難の碑公園」で追悼集会が開かれ、約130人が出席した。コロナ禍の影響を受けて過去2年間は規模を縮小して開いていたが、今年は3年ぶりに通常開催した。出席者たちは、朝鮮半島への帰国途中で亡くなった多くの犠牲者に対して、花や歌を捧げて冥福を祈った。

 この事件には北朝鮮も反応を見せており、今年も8月24日に対南宣伝サイト「わが民族同士」が事件について取り上げ、「日本帝国主義が(太平洋戦争の)は敗北の仕返しとして行った」と主張。計画的な「朝鮮人集団虐殺蛮行だ」として日本政府への責任追及が必要だと強調した。

 犠牲者の遺骨521柱は、厚生省(当時)が1971年に祐天寺に預託。76年までに一部が韓国に返還されたが、現在も280柱が祖国に帰ることができていない。

 遺骨をめぐっては、前述の浮島丸訴訟で、日本政府は2001年、遺族の請求のうち遺骨返還請求に限って認諾することを表明した。訴訟外で和解交渉が行われたが、祐天寺にある遺骨は死没者名簿に合わせて振り分けた混骨で、原告団長は「混骨を承知の上で受け取るには、国からのお悔やみの言葉が必要」として遺骨の受け取りを拒否。謝罪要求に国は難色を示し、和解交渉は決裂した。

 280柱が未だ祖国に帰れないことから、浮島丸殉難者を追悼する会(舞鶴市)、朝鮮人戦争犠牲者を追悼する会(東京都)、浮島丸下北の会(青森県)の市民団体3団体は今月19日、人道的観点から遺骨の早期返還に向け、外交ルートを通じて協議を進めるよう求める要望書を厚労相に提出した。京都新聞の報道によると、要請に厚労省側からは「人道的観点から、外務省と一緒に最大限の努力をしたい」との返答があったという。

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