(画像提供:wowkorea)
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韓国の民主化運動を伝える作品などで知られる日本人画家の富山妙子さんが18日、老衰のため東京都内の自宅で死去した。99歳。富山さんの訃報は、韓国メディア各社も伝え、韓国国民も富山さんの死を悼んでいる。

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富山さんは1921年に神戸市で生まれ、少女時代を旧満州(中国東北部)で過ごした。女子美術専門学校(現女子美術大学)を中退。戦後からは鉱山や炭坑、日本の植民地支配をテーマとする油彩画や版画などの制作に取り組んだ。

1971年からは韓国の詩人キム・ジハ(金芝河)氏をテーマとする作品の制作を始めた。翌1972年には東京・銀座で個展「金芝河の詩に寄せて」を開催したほか、1974年にはキム氏をテーマとした版画作品集「しばられた手の祈り」を制作した。

キム氏は韓国の軍事政権下で民主化運動をリードした人物でもあり、キム氏をテーマとした作品は、富山さんがその後、民主化運動をテーマとした作品を多く生み出すことにつながる。

富山さんの名を韓国で一躍有名にしたのが1980年に発表した版画「光州のピエタ」だ。韓国では軍事クーデターで執権し18年間も大統領の職にいたパク・チョンヒ(朴正煕)大統領が1979年に部下に暗殺された。パク・クネ(朴槿恵)前大統領は彼の実娘。

1980年5月18日、南西部の都市クァンジュ(光州)で、民主化を求めるデモが激しくなり、警察だけでは統制が不可能な状態となった。韓国軍が鎮圧に投入され、多数の死傷者が出た「光州事件」が発生。「光州のピエタ」はクァンジュでの悲劇を広く世に伝えた作品として、韓国でも高い評価を受けている。

富山さんには今年6月、韓国の民主化運動に貢献したとして、「6・10民主抗争」記念式で韓国政府から大韓民国国民褒章が贈られた。富山さんは記念式に招待されるもコロナ禍により渡韓できず、褒章を直接受け取ることはかなわなかった。

富山さんの死去を受けて、クァンジュ事件の遺族会や記念財団などで構成する「5・18団体」は19日、追悼文を発表。「5・18民主化運動を全世界に伝え、迫害を受ける民衆と連帯してきた富山妙子先生の永眠に弔意を表する」と悼んだ。その上で、「富山先生の奮闘は、当時孤立していたクァンジュに力と希望を与える灯のようだった」と生前の功績をたたえた。

富山さんの訃報は、聯合ニュースなど大手メディアのほか、クァンジュ事件が起きたクァンジュの地元メディア、クァンジュ毎日新聞やクァンジュ放送なども伝えている。

世界日報は「『民衆の恨』に切り込み『5・18』伝えた日本の元老画伯」との見出しで記事を掲載。抑圧に苦しむ民衆の姿を作品で表現することに尽力した富山さんの功績を伝えた。

聯合ニュースは、慰安婦をテーマにした1986年発表の作品「海の記憶」シリーズについても紹介。聯合が今年6月に行った富山さんへのインタビューで、富山さんは慰安婦をテーマにした作品の制作を振り返り「私でなければやる人がいないという考えで、とても真剣に向き合った」と語ったことを伝えた。

キョンヒャン新聞は「18日に死去した富山妙子の生涯と芸術は『平和』、『正義』、『連帯』、『友愛』という言葉で定義することができる」と解説。「彼女の関心と芸術活動・市民運動は、日本の労働問題から韓国の民主化運動、難民問題に及んだ」とし、「彼女は国籍と人種を越えて、資本主義や帝国主義の犠牲者、被害者、少数者と常に共にあった。日本の戦争責任をたゆまず追い求めた知識人だ」と評した。

ソウルのヨンセ(延世)大学では現在、8月末までの会期で富山さんの作品を集めた企画展「記憶の海へ」が開催中。富山さんの油絵や版画、コラージュ、スケッチなど170点を展示している。

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