(画像提供:wowkorea)
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先週、再び実刑判決を受けて韓国のイ・ミョンバク(李明博)元大統領の再収監が決定し、今週投獄された。李氏の裁判や疑惑の詳細に関しては置いておいて、李氏と言えば、この約8年程の日本における嫌韓の切っ掛けを作った人物として日韓共に認識されている。

 ところが日韓において、その「切っ掛け」については全く認識が異なっている。

 日本においては彼の天皇侮辱発言(現上皇に対して元慰安婦らや独立運動家らに土下座謝罪しろ)と(外相を通じて明らかにした)昭和天皇の戦争責任言及が嫌韓の「切っ掛け」を作ったとして認識されている。

 一方、韓国においては大統領として初の竹島・トクド(独島)上陸を行い日本を挑発したのが「切っ掛け」と言う認識なのだ。何故か天皇侮辱発言や昭和天皇への責任追及を意識的、無意識的に忘却しよう(無かった事に)としているとも言える。

 韓国における「反日」活動の主力・多数派は左派・進歩・革新派であり、現政権与党がまさに該当する。従って、保守派(現在の野党系)の李氏は元々経済界出身と言う事もあり、「反日」活動に関しては素人と言えた。

 彼の生れは日本である。1941年の真珠湾攻撃から1週間後、大阪府中河内郡加美村(今の大阪市平野区)で生まれた。1945年、日本の敗戦で家族と一緒に半島に渡った。実母に関しては韓国で「日本人説」が騒がれたりもした。このような背景の彼は、幼い時から「私は反日」を叫ばない限り「親日派の売国奴」のレッテルが付いていたかもしれない。

 その理由なのか、名門「高麗大学校」に進学し「総学生会長(代行)」となった彼は、日韓国交正常化のために1964年に行われた「日韓会談」に対する抗議・妨害の学生運動デモを主導する。これで「国家内乱扇動」の容疑で逮捕され懲役3年・執行猶予5年の判決を受けた。3か月間は投獄状態だった。

 大学卒業後、学生運動の経歴で就職が難しいと、当時のパク・ジョンヒ(朴正熙)大統領に手紙を送り、大統領の紹介で「現代建設」(韓国の自動車大手の現代グループの母体)に就職する。以降、海外受注などで業績の残し36歳で社長、47歳で会長の座に登った。財閥「現代家」の血筋ではない限り、当時としては破格の「立身出世」だった。この時の彼の活躍は韓国ドラマ「野望の歳月」(1990年)、「火の鳥」(2004年)にも描かれるほどだった。

 1992年、保守系の比例代表として国会議員に出馬するため、現代建設の会長職を退く。1996年にはソウル市長になり、ソウルのバス運用システムの改革するなどの業績を残す。2003年には大統領に就任した。

 そんな彼は「反日」に関しては素人ゆえに、「反日」活動でもタブーやしてはならない事があると言う事を弁えていなかったが故の「失敗」「事故」だったと見られている。韓国「反日」の左派・進歩・革新派にとって、「反日」活動上、意外と重視しているのは、日本国内の一般大衆を親韓化させ、その日韓関係の歴史観を受け入れさせ、韓国にとって有益な存在として日本を変えようとする事なのだ。

 つまり日本国内の左派・進歩・革新派の活動家・識者や政治勢力と協力して、日本国民の支持や同調を得ようとしているのだ。故に本音ベースでは皇室について極めて否定的、かつ攻撃的な韓国「反日」左派・進歩・革新派だが、意外と皇室タブーを重視して言及を回避しているのだ。

 つまり、もし皇室タブーに触れるや否や、日本の一般大衆・国民から支持されず、また日本国内の協力勢力を不利な立場に追い込むときちんと弁えているからだ。こうした点で、日本国内の協力勢力からの助言も有るのだろうが、北朝鮮も意外と皇室タブーには触れて来ない点も含め、「反日」左派・進歩・革新派の活動は実に合目的的、かつプロフェッショナルなのだ。

 事実、これだけ日韓関係が悪化しても、現政権・与党は他のイシューでは口汚く日本を誹謗中傷するものの、決して皇室タブーに触れようとしないのは、合目的的、かつプロフェッショナルな「反日」専門家集団だからだ。

 翻って見て李氏はそうしたタブー、日本の一般大衆・国民から怒りや嫌悪感情を買う行為だとの認識を欠いた、謂わば「反日」の素人だったと言えよう。特に慰安婦問題、元労働者問題と言った歴史問題を巡る判決のみならず、通商問題(日韓FTA等)や技術移転問題等で行き詰っていた日韓交渉を促進しようとした手段として、皇室タブー侵犯や竹島・独島上陸を選択したのだろう。

 政権末期の2012年7月、日韓議員連盟会長でもあった実兄イ・サンドゥク(李相得)氏や側近らが拘束され、支持率が急降下。その翌月の8月に竹島・トクド(独島)に上陸する。1965年の日韓国交正常化の時、両国の政権が交わした「密約」を破ってしまったのだ。

 そして、日本皇室タブーを侵犯。彼の支持率は26%から35%に9%ポイント急上昇した。そこまでは「反日」を国内政治に利用したりする韓国政治家として狙いどおりだったと思われる。しかし、タブーの線をこ越えてしまったせいで、良好だった日韓関係はその瞬間から破局に向かい、その流れが8年が過ぎた今に至っている。

 皇室タブー侵犯等を控える代わりに、日本に譲歩を求めた姿勢は、プロフェッショナルな左派・進歩・革新派の「反日」と比べると、非合目的であり、かつアマチュアな(素人の)「反日」利用だったと言えよう。

 そして、今週の彼の投獄。彼の政権下で自殺に追い込まれた故ノ・ムヒョン(盧武鉉)大統領の”復讐”とも言われている。現職のムン・ジェイン(文在寅)大統領は故ノ・ムヒョン大統領の”同志”であり、元秘書室長。このまま恩赦も無く、刑期満了まで収監されるとなると、李氏が娑婆に出られるのは17年後、95歳になると言う。

 その時まで獄中では時間は十分に有るだろうから、どの様に自身の対日政策を総括しているのか、是非回顧録でも残して欲しい。如何いった経緯で皇室タブーを犯したのか、明らかにしておいてもらいたい。

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