ユさんは「国民に迷惑をかけ、政府は多くの打撃を被った。大きな物議を醸したと思うと、解放されてからも眠れなかった。申し訳ない気持ちだ」と心境を語った。ソさんは、「家族だけでなく全国民に心配をかけ、感謝するとともに申し訳ない」と謝罪した。拉致された当時は体が辛く下痢などの症状もあったが、今はやや回復し、すぐ治療が必要な健康問題はないと話した。
7月19日の事件発生当時、一行は、昼間なら安全だというのでカブールを朝に出発した。貸し切りバスの運転手が「知り合いだ」と紹介して現地人2人をバスに乗せ前の座席に座らせたが、20~30分後に彼らが銃を発砲し車を止めた。そこへ武装したタリバン兵2人が乗り込んできて運転手を殴り、韓国人をバンに乗り換えさせたという。拉致直後、タリバンは私服警察だと名乗り、国際テロ組織のアルカイダから保護するのだと話していたが、韓国人全員を1列に立たせた後、機関銃と小銃で脅し自分たちがアルカイダだと名乗ると態度が急変した。タリバンは銃を撃つ振りをしながら「態度を誤ればこうなる」と脅し、人質はみなパニック状態に陥った。
監禁中のようすについて、ユさんは、気力がなく1日中寝て過ごしていたと説明した。人質が断食していると報じられたことがあるが、これについては、拉致後間もなく、早く救出してもらえるようにと食を断って祈りを捧げたが、3日間食事を取らないでいたため、タリバンには断食をしているように見えたようだと話した。また、ユさんが拉致後最初に監禁されていた場所は半地下の動物のオリのようなところで、その後は家畜を飼う農家に移され、住民に監視されていた。拉致から6日ほど過ぎたころ3~4人ずつに分散され、ユさんは12回移動させられたという。
監禁中に一部人質がメディアと電話で話し、健康状態が悪化した人がいると話しているが、これはタリバンが「健康状態が悪いと言えば救出される」と、そのように言わせたと説明した。
グループに分かれての監禁中、ほかの人質の状態についてはまったく把握できず、全員が解放後に再会するまでは何も知らなかったという。ただユさんは、タリバンがかけていたラジオの英語ニュースで女性2人が解放され2人が殺害されたことを知り衝撃を受けたが、ほかの人質が動揺してはいけないと思い、何も言わずに胸にとどめておいたと話した。
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