(画像提供:wowkorea)
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2012年10月、長崎県対馬市の観音寺から、県指定有形文化財の「観世音菩薩坐像」が韓国人窃盗団によって盗まれた。窃盗団はこのほか、同市内の海神神社の「銅造如来立像」も盗み、韓国に持ち込んだ。窃盗団は多久頭魂神社の「大蔵経」も盗んだが、韓国に持ち込む前に捨てたとされている。

2か月後、韓国人窃盗団が韓国警察に逮捕され、2体の仏像が押収された。その後、「銅造如来立像」は2015年に海神神社に返還されたが、「観世音菩薩坐像」は現在も日本に戻ってきていない。

韓国中部のソサン(瑞山)市にあるプソクサ(浮石寺)が「像はもともと自分たちのもので、日本に略奪された」と主張。2013年に韓国政府を相手取って、仏像の日本への返還差し止めの仮処分申請や所有権を主張する訴訟を起こしたためだ。

韓国裁判所は第1審で「仏像に『高麗国瑞州』という記録はあるが、対馬の観音寺に移転された記録がない」とした。また、「1330年以降『倭寇(日本の海賊)』が5回、瑞山地域に侵入したとの史書があり、贈与・売買ではなく、盗難・略奪などで搬出されたと判断される」とし、2017年に浮石寺の所有権を認める判決を出した。

この憶測論理に対しては、前回の解説記事で「韓国内の『Made in Japan』と書かれた全ての物は、領収書などの入手記録を700年間も保管しない限り、日本から盗んだり略奪した物とされる」と既に指摘した。

第1審の判決には当時、韓国の専門家などからも疑問の声が上がった。対馬にある朝鮮半島仏像を研究してきた、韓国教員大学の故チョン・ヨンホ名誉教授は「仏像がもし略奪品だとしても、それをまた別の略奪(韓国人窃盗団による窃盗)というやり方で返してもらうことは正当化できない」とし、「日本が浮石寺から略奪したという直接的な証拠もない」と指摘した。

第1審判決の後、韓国政府は控訴し、現在、高裁で第2審が続いている。また韓国政府は昨年末、外交ルートを通じて日本の観音寺に裁判の参加を促す書面を送り、同寺は応じる意向を示している。

しかし、15日に開かれた控訴審(第2審)に、観音寺側は出廷しなかった。韓国政府を代理する韓国検察は「観音寺側が参加するまで裁判を延ばすべきだ」と主張したが、浮石寺の弁護側は「観音寺の参加意思がはっきりしていない。このまま進行を続けて結論を出すべき」と反論した。

観音寺がある長崎県の地元紙、長崎新聞が昨年10月に報じたところによると、浮石寺は昨年6月の控訴審の審理で、像に金彩を施す「改金仏事」をしたいとの意向を裁判所に示した。その目的は予想され、韓国裁判所は観音寺側の許可を得る必要があると指摘した。韓国でも日本でも、文化財に対する無許可の現状変更は、文化財保護法に抵触する。

国連教育科学文化機関(ユネスコ)が1972年に定めた文化財不法輸出等禁止条約では、加盟国で条約の効力が発生した後に盗まれた文化財は返還することになっている。韓国は1983年に、日本は2002年にそれぞれ批准(ひじゅん)している。

そのため、仏像が略奪によって日本に渡ったか否かということとは関係なく、仏像は韓国窃盗団によって盗まれたものであることから、条約内容としてはまず、観音寺に返還することが先決だ。

仏像は現在、韓国中部・テジョン(大田)にある国立文化財研究所に保管されている。韓国裁判所が「観音寺側が仏像を正当に取得したということが訴訟で確認されるまで、日本に仏像を返還してはならない」としているためだ。日本政府は、訴訟に関係なく、速やかな返還を求めている。

控訴審が続いている中、15日には韓国検察が今までの「(結縁文を含め)仏像は偽物」との主張を取りやめ、「仏像は本物」と認めた。窃盗団が仏像を韓国プサン(釜山)港を通じて韓国に持ち込んだ時、通関過程で「仏像は偽物」とする鑑定を受けていたからだ。

韓国検察の論理は、「仏像が偽物だから浮石寺が所有していた本物とは違う」とのことだったが、韓国文化財庁の鑑定結果が「(結縁文を含め)仏像は本物」だったので、仕方なくこの論理をやめたのだ。

こうなったら、ある疑問が浮かぶしかない。韓国政府やその代理人である韓国検察は本当に仏像を日本に返す気があるのか?

先ず第1に、本物と認めるなら、そもそも2012年10月に釜山港を通じた通関行為が無効になり、前述のユネスコ条約も適用される。つまり、条約を違反して搬入された文化財なので韓国国内での訴訟対象にならないことを韓国検察は裁判官に主張しないといけない。

第2、2012年12月に窃盗団が逮捕され、仏像が押収された時から、2013年に浮石寺が日本への返還禁止を求める仮処分まで、韓国政府は日本への返還を迷っていたことだ。その後、仮処分の請求が受け入れられ、本裁判が始まり、9年間も日韓の火種となっていることだ。

第3に、「高麗国の浮石寺」が「大韓民国の浮石寺」とは法的に違う存在であることに対して、韓国検察が裁判所にアピールしていないことだ。裁判では古地図の確認で「高麗国の浮石寺」と「大韓民国の浮石寺」が同一としているが、次の史実は無視されている。

仏像が「高麗国の浮石寺」に奉安されてから62年後の1392年、高麗国が滅びる。「儒教の国」朝鮮国が建国し、仏教を激しく弾圧した。高麗国には13,000か所の仏教寺院があったが、朝鮮国の第4代王であり現在の1万ウォン紙幣の主人公「世宗大王」の治世になると、仏教寺院は36か所しか残らなかった。

つまり99%以上の寺が破壊され廃虚と化した。1400年代まで残った36か所の寺院ではない「高麗国の浮石寺」はその後の数百年間、所有者も管理者もいない状態だったとのこと。

韓国検察としては当然、1330年の記録(結縁文)に登場する「高麗国の浮石寺」が「大韓民国の浮石寺」とは法的に違うこと、所有権を主張するには法理的に違う存在であることを裁判官に主張しないといけなかった。

以上、3つの現状を勘案すると、韓国政府や韓国検察は第1審の判決に対して控訴はしたものの、第2審を通じて仏像を日本に戻すことに対してあまり「やる気」がないようだ。

このコロナ禍の中、日本の観音寺が韓国の裁判に参加しない限り、本年中には第2審の裁判は終結する。
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