キム・イェリム
キム・イェリム
韓国女性歌手キム・イェリムは、カロリーが高いタイ焼きそばを完食して、こう語った。

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 「最近、サラダ中心の食事をしています。きょうは昼食だけ食べて、夕食はパスしようかと…(笑)」

 最近、ソウル市内でインタビューに応じたキム・イェリムは、ニューアルバムの発表を前に体重管理をしているのだという。混声デュオ「Two months」でMnet「スーパースターK3」に挑戦したときより顎のラインがシャープになり、一層きれいになったのも、絶え間ない努力の結果だろう。

 彼女は9日、2枚目のミニアルバム「Her Voice」を発表。ことし6月に初のミニアルバム「A Voice」で成功裏にデビュー戦を終え、自己管理にもより力を入れた。

 韓国の年齢(数え年)で20歳になる彼女は、1stアルバム当時、ティーザー映像で下着姿を露出し波紋を呼んだ。注目を浴びたという声に、唯一母親だけが「どうして、そんな格好で映像に出たの」と言ったのだという。

 外見の変化に視線が集中したようだが、1stアルバムは彼女の独特な声で耳を集中させたのも事実。今回のアルバムタイトルにも「Voice」を前面に出したのは、その強みを確認させるためとの意図がある。歌手にとって最大の武器は、生まれもった音色だからだ。

 「1stアルバムのタイトルには『A』という冠詞を、2枚目のアルバムには『Her』という一層具体化された表現を入れました。前作は、私の声の表現法を多様に披露したとしたら、今回はボーカリストとして私だけのカラーを強めたという意味があります」

 キム・イェリムの音色は、夢幻的でありながらも強く、低くハスキーながらも美しい高音を行き来する。発音を軽く転がし、無心にとんとんと吐き出すような歌い方は、意図的なのかと尋ねると「そうではなく、私の声は生まれつきの姿」と強調した。

 前作のヒットで彼女の音楽に対する信頼が高まり、大衆の期待も一層大きくなった。今回は、自身の所属事務所代表であり歌手のユン・ジョンシンがプロデュースを務めた。そのおかげで、キム・グァンジンやイ・ギュホ、コ・チャンヨンなど1990年代にレーベルハナ音楽で活躍したミュージシャン、また「動物園」のメンバーだったキム・チャンギ、イ・ヒョリの夫でありギタリストのイ・サンスンなど豪華面々が曲をプレゼントしてくれた。彼れらの音楽がキム・イェリムの神秘的な音色と合わさって秋の入口にふさわしいアルバムに仕上がった。

 彼女は、内面の強い先輩たちと作業し、音楽に対する経験値が2倍に高まったと話す。先輩らの特性を探りながら、学ぶことを見つけるという態度が立派だ。

 タイトル曲「Voice」を作曲したユン・ジョンシンには「結果物に対する大きな絵を描きならも、私の発生とトーンまで性格に把握する繊細さに驚いた」とし、コ・チャンヨンは「音のひとつも逃さない集中力に驚かされた」と紹介した。

 歌詞の中に「いつか真実を重要にしていたことがあるだろうか」と書いてくれたキム・チャンギとの作業は中でも最も記憶に残っているという。

 「A4用紙2枚に歌詞1行ごと、どんな気持ちで歌ってほしいのかを書いてくださいました。歌唱スキルより感じる心の重要性を強調したのです。歌詞作業に対する私の考え方も大きく変わりました」

 キム・イェリムは、今回のアルバムで初めて作詞に挑戦した。収録曲「Urban Green」と「Rain」に共同作詞家として名を連ねたのだ。ついに韓国音楽著作権協会に著作権者として登録された、と笑顔を見せた。

 現在の道に立つまで、彼女は大小の挑戦をしてきた。「スーパースターK3」が人生初の冒険ではない。内向的なイメージとは異なり、新しい人や新しい場所への好奇心が強い「見た目より明るい性格」なのだという。

 自身のこだわりで、小学校のときは忠南(チュンナム)瑞山(ソサン)の学校に転校し、中学1年生で自らカナダ・バンクーバーへの留学を強行。幼い頃から自立した何かを達成しながら、独立した生活をする力が育てられた。その中で音楽も自由で幅広く吸収してきたようだ。

 また、父親のビジネスの関係で高校2年生のときには米国ニュージャージーへ移民。そこでまた違った文化を学んだキム・イェリム。彼女は「写真や美術など芸術分野で活動する友人と一緒に過ごしながら影響を受け、型にはまらない考え方を学んだ」と話す。

 このような過程で歌手になりたい、という夢が日増しに大きくなっていった彼女は、米国に移住して6か月にも満たないころ、住んでいた地域で開催された「スーパースターK3」の予選ステージに立った。

 「独立してた子どもだったため、家族はもちろん友人たちも私が歌手になるとは思っていなかったようです。みんな驚いていました。この番組は、私が夢みてきたものを現実に変える近道となりました」

 彼女にとって音楽は、生活のイベントではなく一部分になった。

 彼女は「音楽はこれ以上イベントではなく、私の生活の一部であり私自身の一部」とし「でもユン・ジョンシン先輩は、一日の半分以上は音楽だけをするのではなく、他の経験をしなさいとアドバイスしてくれました。その経験の中でインスピレーションを受けて、さらに良い音楽が作られるからです。いつも歌ってきたように、私は心が開かれています」と強調した。

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