ドイツワールドカップの熱気で赤く染まった6月。韓国代表チームの善戦を祈願するレッドデビルの歓声が市庁前を埋め尽くす時、必ず響き渡る曲があった。軽快なダンスのリズムにフュージョントロット(演歌)を組み合わせた応援曲『パラパパ』だ。

パク・ヒョンビン の最新ニュースまとめ

勝利のラッパの音を連想させ、耳にすっと入ってくるサビの部分と、一度聞いただけですぐに口ずさめる簡単な歌詞、そして8人の“グラマー”なブラジルガールがステージにずらりと並ぶと、観客は初めて見る新人歌手に情熱的な歓声をあげる。

彼こそ、2006年ワールドカップの最大受恵者の1人に数えられる“トロット界の新型エンジン”パク・ヒョンビン(24)だ。真面目な表情で口を開いたパク・ヒョンビンは、「こんな突発的な人気に対し、嬉しい気持ちばかりじゃありません」と、その心境を語る。

「僕を応援してくれるファンが、嫌なわけないでしょ。だけど、中途半端な歌手にはなりたくないんです。時期がかみ合っただけで、僕はワールドカップを狙った企画商品ではありません。もうある程度は僕の歌を広めることに成功したので、僕の名前と顔を広めることに力を注がないと」 
パク・ヒョンビンは“トロットの妖精”チャン・ユンジョンをトップスターに作り上げた<イヌプロダクション>が、1年余りの準備期間を経て誕生させた脅威の新鋭。タレントのヒョンビンと同名異人で、名前負けせぬハンサムな容姿に声楽を学んでいたという異色の経歴で、話題を集めた。

また、楽団のサックスフォニスト出身の父と、歌の講師である母、そしてドイツでバリトンを学んでいる兄パク・ジスさん。ハーモニーで1つになっている家族らしく、幼い頃から音楽を一生の職として生きるというパク・ヒョンビンの決心は固かった。しかし、純粋な芸術から商業芸術への転換過程で彼の悩みは、「生涯初の試練」というほど、涙が出るくらい悲壮だった。

「とにかく歌手になりたいと思ったけれど、方法がわからなかったんです。そんな時、周囲から僕の声はトロットによく合う、トロット歌手をやってみろと勧められました。それでテ・ジナ先輩の『愛してごめん』を作曲したチョン・ウィソン先生を訪ね、トレーニングを受けることになりました」
「その後、実践経験を積み重ねるために、無償で1年くらいライブカフェで歌っていました」というパク・ヒョンビンは、「人前で、僕が歌ったことのないジャンルの曲を歌うというのは難しかったけど、それを通じてステージの上で必要なスキルを学びました。その頃は、両親と友達に励まされて耐えていました」と目を潤ませた。

パク・ヒョンビンの名の前につく修飾語は数多い。ワールドカップの恩恵をしっかり受けたことにより、“市庁前の男”“ワールドカップ男”と呼ばれるかと思えば、デビュー当初“トロット界の若き血”という意味から“男版チャン・ユンジョン”とも呼ばれた。しかし、親しみやすさの代わりに“我流”という雰囲気が強いという指摘のため、これを払拭することもまた、自らが担わなければならないプレッシャーとなっている。

しかし、パク・ヒョンビンは「完全なる無名の新人なので、僕をストレートにアピールできていい」「むしろ、先輩たちの牙城(がじょう)に挑戦し、これを飛び越えようとする意志が生まれた」とポジティブに受け止めている。

デビューからまだ2ヶ月しか経っていないパク・ヒョンビン。
先がまだまだ長い彼に足りないものは、闘争心だ。
「まだカメラ目線も、ダンスやテレビでの発言も、全部直していく段階」というパク・ヒョンビンは「けれど、どんなに大変なことがあっても後悔はしません」と、自身が選んだ“他の人とは違う”道に対し、少しも搖らがないことを確信した。

「地方公演に行くと、最近は“年上の”ファンたちが登場する」というパク・ヒョンビンに、熱烈なファンの対処法をこっそり聞いた。
「どうにかするといっても、つかんで離してくれませんからね。そんな時には、何もせずに身をまかせればいいんです」
壁にぶつかっても屈せず、音楽に身を捧げるパク・ヒョンビンの、次への一歩が気にかかる。


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