テギルの弟となるヨニングン(後の英祖)はヨ・ジングが演じている(写真提供:OSEN)
テギルの弟となるヨニングン(後の英祖)はヨ・ジングが演じている(写真提供:OSEN)
5月15日から日本で放送が始まった『テバク』。このドラマの序盤は歴史の事実に基づいて物語が構成されている。その背景がわからないと、ドラマを理解できない部分もたくさん出てくる。そこで、『テバク』の序盤をもっと楽しむために、ワンポイントで歴史を解説していこう。

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■物語は1690年前後から始まる

〔ポイント1〕時代はいつ?
『テバク』の物語は、朝鮮王朝19代王・粛宗(スクチョン)の統治時代から始まっている。第1話で淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏が粛宗に見初められるが、歴史的にそれは1690年前後と想定される。さらに、『テバク』の全話が描く時代は、1690年前後から1728年までである。40年近くにわたる壮大なストーリーなのである。

〔ポイント2〕淑嬪・崔氏は誰?
 物語の序盤で重要な役割を演じる淑嬪・崔氏。彼女は、ドラマ『トンイ』の主人公になった女性である。そして、21代王・英祖(ヨンジョ)の実母である。王宮で水汲みや洗濯などの下働きをする女性(ムスリと呼ぶ)として宮中に入ったと言われているが、歴史的にその事実は確認されていない。生まれたのは1670年とされているのだが、何かと謎が多い女性である。


■「王の女」たちの争い

〔ポイント3〕淑嬪・崔氏のライバルは?
 淑嬪・崔氏と敵対するのは、悪女として有名な張禧嬪(チャン・ヒビン)。1688年に粛宗の長男を産んでおり、1689年には側室から王妃に昇格している。『テバク』では張禧嬪が淑嬪・崔氏を徹底的にいじめるが、それは他のドラマと描き方が同じ。ただし、政治的には淑嬪・崔氏のほうが裏でいろいろな工作をしていたと推定される。本当の悪女は淑嬪・崔氏だったかもしれない。

〔ポイント4〕その後の張禧嬪は?
『テバク』で淑嬪・崔氏をいじめた張禧嬪は粛宗の怒りを買ってしまい、1694年に王妃から再び側室に降格してしまった。その後の張禧嬪のことが『テバク』では描かれていないが、彼女は、王妃に復帰した仁顕(イニョン)王后を呪い殺す儀式をしたことをとがめられて、1701年に死罪となっている。彼女の産んだ粛宗の長男が20代王・景宗(キョンジョン)である。

〔ポイント5〕景宗と英祖の関係は?
 粛宗の後継者争いは派閥を巻き込んで混迷した。1688年に張禧嬪が産んだ景宗と、1694年に淑嬪・崔氏が産んだヨニングン(後の英祖)が争ったが、張禧嬪が罪人として死罪になった後も、景宗が世子(セジャ/王の正式な後継者)であることは変わらなかった。しかし、英祖は王になることをあきらめなかった。


■鍵を握る人物を探せ!

〔ポイント6〕主人公のテギルとは?
 実は、淑嬪・崔氏はヨニングンを産む前年の1693年に粛宗の息子を産んでいる。名前は永寿君(ヨンスグン)と言う。しかし、2か月あまりで早世してしまった。この永寿君が死んだのではなく捨てられたのだ、というように物語が作られたのが『テバク』である。捨てられた永寿君が淑嬪・崔氏のかつての夫に育てられてテギルになるというのが、『テバク』の重要な設定になっていた。

〔ポイント7〕テギルは実在した?
 残念ながら、テギルは架空の人物である。史実では、永寿君は捨てられたのではなく、乳児の間に死んでしまっている。名前には「永寿」という長寿を連想させる漢字が入っているのに、実際はあまりに短命だった。しかし、「実は生きていた」という『テバク』の設定は面白い。実際、そういう設定がストーリーを奔放に動かす役回りを演じることができるからだ。

〔ポイント8〕重要なキーマンは?
『テバク』の物語を大きく動かす人物は、チョン・グァンリョルが演じている李麟佐(イ・インジャ)である。この人物は、英祖が即位した4年後の1728年に政府転覆をはかって反乱を起こす。これは当時の朝鮮王朝を揺るがす大事件だった。しかし、それ以前の李麟佐の足跡は謎に包まれている。それにもかかわらず、『テバク』では李麟佐を最初から全面に出している。間違いなく彼こそが『テバク』のキーマンである。


■後継者争いの結末

〔ポイント9〕テギルはどうなる?
 成人したテギルの役でチャン・グンソクが本格的に出てくるのは第3話の後半からだ。そのとき、テギルは20歳になっていた。彼は1693年に生まれて捨てられてしまったという設定なので、第3話の後半からは時代が1713年に移っていた。ちなみに、淑嬪・崔氏が48歳で世を去ったのが1718年で、粛宗は1720年に59歳で亡くなっている。

〔ポイント10〕粛宗の後継者争いの結果は?
 景宗とヨニングンの他に、粛宗が溺愛していた息子がいた。側室が1699年に産んだ延齢君(ヨンニョングン)である。彼は頭脳明晰で、とても親孝行だった。『テバク』の中にも延齢君がよく出てきて粛宗の肩をもんでいた。実際にも、粛宗はこの延齢君をとても気に入っていて、景宗と代えて後継者にしたいという腹積もりを持っていた。しかし、肝心の延齢君が1718年に19歳で早世してしまった。粛宗の嘆きは大きく、それが寿命を縮めたとも言われている。結局、長男の景宗が予定どおり、1720年に粛宗が亡くなった後に王位を継いだ。だが、景宗も即位4年で世を去り、1724年に英祖が即位して満願をかなえた。


文=康 熙奉(カン ヒボン)
(ロコレ提供)

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