鳴梁(ミョンリャン)海戦(1597年9月、朝鮮の水軍が海峡で日本の水軍を大破した戦争)で李舜臣(イ・スンシン)将軍に大敗した後亡くなったが、全羅北道・珍島(チョンラブクド・ジンド)住民により墓地に埋められた日本の水軍の子孫が「恩返しの珍島訪問」を行なう。

珍島郡が4日伝えたところによると、鳴梁海戦当時に李将軍に敗れ亡くなったが、珍島住民により倭徳山(ウェドクサン)の丘に埋められた日本の水軍らの子孫およそ20人が感謝の意を伝えるために今月15日、珍島を訪問する。当時、珍島の住民らは荒々しい波に押されてきた日本の水軍100人の遺体を収拾、葬儀を行なった。

珍島郡古郡面内洞里(コグンミョン・ネドンリ)にあるこの丘は「日本軍に恩恵を与えた」との意から「倭徳山」と名付けられた。こうした事実は、珍島の郷土歴史学者パク・ジュオン氏(61)が、内洞里住民イ・キス氏(80)の証言に基づき、04年に「珍島の人々」という雑誌に寄稿して以降、外部に初めて伝えられた。

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