韓国ソウルの日本大使館前。「平和の少女像」(画像提供:wowkorea)
韓国ソウルの日本大使館前。「平和の少女像」(画像提供:wowkorea)
中国大使館は国内の外交公館の中で最大規模で建設、既存の建物が撤去された日本大使館の敷地は6年間空き地で放置

2008年1月、初めに駐韓中国大使館は大使館新築計画案を管轄官庁(中区)に提出した。地上24階(地下2階)に延べ面積17199平方メートルで、高さ90メートルの建物を建てる計画だった。大使館のフェンスは透明なものに設計変更せよと言うソウル市の勧告に、大使館側が反発もしたが、勧告を受け入れると同時に、計画案は2008年4月29日にソウル市建築委員会を通過した。

新築された駐韓中国大使館は2014年1月23日に正式オープンした。当時のメディアは「明洞のど真ん中にそびえ立つ中国大使館」「威風堂々とした新しい中国大使館」「国内の外交公館の中で最大規模」「明洞商人らが歓迎」などのタイトルで報道した。

新築された中国大使館は業務棟と宿舎棟からなっており、プールを始めとした各種の利便施設は勿論、中国式庭園と噴水なども整備された。一部の中国のネティズン(ネット利用者)は「大使館の建物がここまで華麗な必要があるのか?」「人民の血税の無駄遣い」「国際的な恥さらし」だ等と言う反応を見せた。。

駐韓日本大使館は2012年5月末に大使館新築計画案を管轄官庁(鍾路区)に提出した。現在の建物を取り壊して、地上6階(地下3階)に延べ面積11358平方メートル規模で、高さ36メートルの建物を建てる計画だった。

計画案は2012年7月初めに文化財庁によって不許可とされた。大使館の新築が景福宮の歴史文化環境を毀損するおそれがあるという理由からだった。日本大使館が景福宮の半径100メートル以内に位置するため、文化財保護法に依り建物の高さが14メートルに制限されているのだ。

日本大使館周辺には既に50~60メートルを超えるビルがあった。ただしそのビルは2010年12月の文化財保護法発効以前に建てられたために関係なく、日本大使館の新築はその後であるために問題となった。

建築計画案の不許可と関連して日本大使館は2012年12月に文化財庁に公文書を送った。外交公館に関する「ウィーン協約」に依って当該国は外交公館の設置や職務遂行に便宜を提供する義務があることを指摘して、条約に依って駐日韓国大使館新築(東京の港区)の際、日本政府が用途変更などの便宜を提供した事実を想起させる内容だった。

2013年5月には韓国の外交部が文化財庁に対して日本大使館の新築許可を前向きに検討してほしいという公文書を送った。2013年6月に日本大使館は建物の高さを4メートルほど低くした32.4メートルへ新築計画を変更して再申請した。

その後、文化財庁内の審議委員会が何度か開かれて許可の可否を巡って甲論乙駁が展開され、2013年7月には条件付き許可が出た。新築工事中に遺跡が発見されれば、工事を中断して発掘調査を実施して、許可を再検討するという条件であった。

これと関連して当時のメディアは「新築許可は文化財保護法違反」「外圧による特別優遇」「高度制限違反」「原則無き許可」などと報道した。一部の国会議員は「日帝に強制的に毀損されて復元された景福宮の悲しい歴史を考慮する時、日本大使館は他の場所に移転すべきだ」と言う主張を展開もした。

文化財庁の(条件付き)許可に従って日本大使館はすぐに当該官庁(鍾路区)に新築計画案を正式に提出した。そしてそれから2年近く経過した2015年3月になってやっと鍾路区庁から新築許可を受けた。

日本大使館は工事期間の間、臨時に入居する場所を確保するのにも苦労した。年中続く反日デモの為、建物の所有者らが賃貸を躊躇った為だ。紆余曲折の末、日本大使館は大使館裏の「ツインタワービル」の一部の階(三つのフロア)を賃借して、2015年7月に引っ越した。そして「2019年完工」予定で新築工事が始まった。

撤去工事中であった2016年1月11日、工事現場から朝鮮時代以降のものと推定される遺構(建築物の構造や様式を推測させる手がかり)が発見され、これを理由として工事が中断された。工事現場は遺跡の発掘現場へと転じ、4か月間の発掘作業を通じて、朝鮮時代のものと推定された建物の痕跡、排水路の痕跡、近代の赤煉瓦の建物の痕跡などが確認された。

文化財庁は「残存状態が良好でなく、遺構の性格も不明確だ」と言う結論を下した。4か月ぶりに工事を再開できる状況となったものの、工事はこれ以上進捗しなかった。そしてそれから3年経過した2019年3月4日に鍾路区庁は日本大使館に「建築許可取り消し」を伝えた。

建築法上、許可後1年以内に工事を始めなければならず、特別な事由がある時に限ってのみ、工事の延期が可能だ。それゆえ、鍾路区庁はその間に何度も「工事再開」を要請する公文書を日本大使館側に送った。しかし日本大使館は反応を見せず、結局「建築許可取り消し」が決定された。

一言で言って、2012年5月末に新築案が最初に受け付けられてから、2021年7
月現在まで10年近く経過したが、建物が撤去された日本大使館の敷地は6年間空き地で放置された状態だ。日本が今すぐに新築許可の申請を再びして管轄官庁から許可を受けて一生懸命工事をすると仮定しても、完工までには更に4~5年かかる。

こうなれば、最初の申請(2012年5月)から15年が要するわけだ。駐韓中国大使館の新築が最初の申請から完工までに6年かかり、2013年に完工された駐日韓国大使館(東京の港区)の新築もまたほぼ同じ期間がかかったのとは、とても対照的だ。

形式上としては日本大使館が韓国の建築法(許可後1年以内に着工)に違反して、2019年に新築許可が取り消された格好だが、背景には韓国政府に対する日本政府の強い不信感がちりばめられている。

国際法を遵守しない韓国政府に対する一種のメッセージとして無言の強い抗議の表れだと見られる。日本大使館は遺跡発掘作業が終了した2016年4月時点で新築工事を即時再開できた。ところがこの時すでに本国(日本政府)から「工事を進行するな」と言う指針を受けたことが確実なようだ。

2016年4月時点と言えば、2015年12月に韓日間で慰安婦問題が妥結された時点からわずか数か月経過した時点だ。慰安婦問題妥結の合意文中には「大使館前の慰安婦像は韓国政府が撤去もしくは移転の為に努力する」と言う条項があった。

つまり日本政府は約束をしておいても、慰安婦像の撤去の為の措置はおろか、誠意さえも見せない韓国政府に大きな不信感を感じさせられ、慰安婦像が存在する限りは工事進行は不可能だと言う指針を駐韓日本大使館側に下した状況がはっきりしている。

2019年11月に日本のある日刊紙は「大使館新築の漂流は慰安婦像の為だというのが公然の秘密」だと報道した。日本政府は慰安婦像に対する韓国政府の具体的措置を確認した後に、大使館新築を再び推進するという方針を持っているようだ。

しかし現実は暗澹としたものだ。慰安婦像が撤去されるどころか、2016年12月には釜山にある日本領事館前にむしろ慰安婦像が更に設置された。2017年からは大使館前に「徴用工像」(謂わば「強制徴用労働者像」)まで設置しようという試みが生じた。

国際法(ウィーン条約)に違反する日本大使館前の反日デモは日常化された。日本大使館に対しては卵、火炎瓶、糞尿、首を切られて血まみれになった鳥など、ありとあらゆるものが投げ込まれ、小型トラックが突進したこともあった。

旭日旗を燃やすパフォーマンスは見慣れぬ風景でない。最初から大使館内に不法進入を試みる事件もまた珍しくない。2020年1月には「日本オリンピック=放射能オリンピック」だという反日プロパガンダが目的のポスターが日本大使館の敷地のフェンスに貼り付けられもした。

このような行為全てが重大な犯罪であるにもかかわらず、公権力は消極的に対応する。現場で検挙されてもよほどのことでなければ「無嫌疑」で間もなく釈放されるため、このようなやり方の不法行為は果てしなく続いている。

最近は福島の処理水と関連して、日本大使館前で籠城中の反日デモ隊に対する適切な措置(強制解散など)を日本政府(官房長官)が韓国政府に向かって正式に要求するほど、状況はより一層良くないものとなった。

韓国の日本大使館周辺は、一言で言って、「無法天地(無法地帯)」だ。正式な外交関係を結んだ他国の外交公館に対する最小限の保護さえも保障してやれない国であれば、その国はそれ以上正常な国だと見られない。未開国は19世紀末にのみ存在するものだと思っていたが、そうでないようだ。

※この記事は韓国の保守論客ファンドビルダーさんの寄稿文を日本語に翻訳したものです。韓国メディアには既に韓国語版が公開されています。翻訳の正確さに対する責任は当社にあります。


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