(画像提供:wowkorea)
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昨年10月、享年78歳で死去した韓国・サムスン電子のイ・ゴンヒ(李健熙)会長の遺族が、李会長の私財1兆ウォン(約980億円)を医療事業に寄付することを明らかにした。

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また、李会長が生前に収集した2万点以上の美術品を国立の美術館などに寄贈する。鑑定価格で1兆5000億ウォン(約1470億円)ほどの金額である。

生前、「三星」を世界的企業「SAMSUNG」に育て、韓国の経済発展のために多大な貢献を果たした李会長。韓国人は中々認めようとしないが、実際は韓国経済を救った人物である。死去から半年が経った今、改めてその生涯に迫ってみたい。

李会長はサムスングループを創業したイ・ビョンチョル氏の三男として南東部のキョンサンナムド(慶尚南道)のウィリョン(宜寧)郡で生まれた。日本の半島統治時代の1942年のことだ。

幼少期から日本との関わりは深く、「日本から学べ」をモットーにしていた父親の指示で小学校5年の時に日本に留学。一旦は帰国したが、その後、早稲田大学で学び、1965年に卒業した。

1987年に父親(1代目)の死去に伴い、サムスングループの会長に就任した。「妻と子以外は全て変えよう」をスローガンに、不採算部門を整理し、半導体など成長が見込める分野に巨額の投資を行った。

この時期、李会長は韓国よりは日本で生活しながら、「日本の品質」を韓国でも実現することを目標とした。東京の霞が関ビルはほぼ彼の自宅であった。韓国では「質のためなら量を犠牲にしてもよい」と「品質経営」を説き、会長就任後の約25年間でグループの売上高を約30倍に引き上げた。

2008年、韓国政界や法曹界への不正資金提供疑惑により会長職を辞任するも、10年に経営復帰。しかし、14年5月に急性心筋梗塞で倒れて一線から退き、「植物状態説」などが広まっていた。6年間以上の闘病の末、昨年10月25日、78歳で死去した。

父親から受け継いだ「日本から学べ」という経営哲学を実践し頻繁に日本を訪れ、財界人と交流を深めたこともあり、李会長の死去時は、日本の財界からも多くの惜しむ声が上がった。

李会長の生前の功績を象徴するように、遺産も莫大な額に上る。李会長が残した主要財産としては、サムスン電子やサムスン生命、サムスン物産など、サムスン系列会社の株式があり、これは市場価値で19兆ウォンに上るという。

その他、美術品、ソウルの自宅をはじめとする不動産などを合わせると、総額30兆ウォン規模になると推定される。サムスン3代目のイ・ジェヨン(李在容)副会長などの相続者たちは近々、推定13兆ウォン(1兆2740億円)の約6分の1を納税することになる。残りの金額は5年分割で納めていく計画だ。

サムスン電子は28日、遺族に代わって李会長の私財による社会貢献計画を発表。「国の経済発展に寄与し、人類の健康と生活の質を高めることが企業の使命だとする『共存経営』を強調してきた李健熙氏の遺志を踏まえ、遺族は過去最高額の相続税を納付するとともに、社会貢献や美術品寄贈といった社会還元を実践することを決めた」と説明した。

私財1兆ウォンは医療事業に寄付する。感染症専門病院の建設や、ワクチン・治療開発のための研究支援などに活用されるという。

また、李会長は生前「文化遺産を集めて保存することは人類文化の未来に向けた時代的義務」と語っていたように、数多くの美術品を収集した。今回、遺族は李会長が所蔵したモネやダリ、ピカソといった西洋画や、韓国人画家の作品約2万3000点を国立博物館や国立現代美術館に寄贈するという。

生前も死去後も、李会長の韓国への貢献度は計り知れない。父親を通じて日本から学んだ経営哲学で韓国経済を救ったサムスン2代目の李会長。しかし、その息子でありサムスン3代目の李副会長は、現在、檻の中である。「反日」に溺れている韓国政治は韓国経済のようには上手く成長できないものだ。
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