(画像提供:wowkorea)
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韓国には地方政党・地域政党が無いとは?

 日本では「維新の会」による二度にわたる「大阪都構想」を巡る住民投票も一段落がついたと見える。同時に、「表現の自由展」を巡る愛知県知事の言動への批判がリコール運動になっていたのもまた、韓国と日本を比較観察することに置いて、注目に値すると考えられる。

 何故ならば、いずれも基本的には自治体単位の課題に集中する地方政党である「維新の会」や「減税日本」が自らの公約実現の為に主導して、場合によっては地方選挙や住民投票を通して国政までも動かそうとする政治活動の一環だからだ。

 「地域主義」が政治や選挙を左右すると言われる程、また「差別」問題とも言われる程に社会的にも出身地域が重要な要素となってしまう韓国だが、実は地方政党・地域政党が存在しない。

 10年ほど前、日本に置いて「維新の会」や「減税日本」のような地方政党・地域政党が大きな影響を国政にまで与えつつあったので、韓国のそれと比較しようとした。

 しかし、他の研究者からは全く理解を得られなかった。何故ならば韓国の政党法上、政党とは首都ソウルに本部を置き、全国で実施される選挙に全て参加する事が義務付けられているからだという。

 つまり、韓国の政党は「全国政党」である事が条件になっていたのだ。従って韓国では、地方政党・地域政党というものが違法な存在であり、そもそも存在し得ないものだと分かり、衝撃を感じた事があった。

 結局、泡沫政党も含めた少数政党の日韓比較のオチで終わったのだが、この事が韓国政治、就中、国政・地方の選挙と政党に強い関心を持つ契機となった。韓国は何故、この様な政党法上の規制がかけられ、地方政党・地域政党の存在を受容・合法化しないのか。

 一つには地方自治や地方分権の重要性を訴えつつも、”中央集権”的で、”多様性”よりも”単一的”な統治や基準、サービス提供を望ましいと考える、しばしば指摘する儒教的な「一元論」的な世界観や統治のあり方に慣れ親しんでいるからだろう。

 もう一つは、南北分断という状況下で、地方政党・地域政党の存在を含めた地方自治や地方分権、多元的な政治行政というものが、地域主義・地域感情が加味して、更なる国家・国土の分断や分裂につながるのではという、無意識的な”恐怖感”もあるのではと、当時の研究者らとの討論を通じて感じた。

 勿論、どうして地方政党・地域政党を受容・合法化しないのかと尋ねれば、地域主義・地域感情とそれに伴う弊害を解消するのが政治課題なのに、地方政党・地域政党が存在しては、その阻害要因になるに決まっているからであろう。

 尤も地方政党・地域政党を認めなくとも、実際には全国政党とはいうものの、湖南(全羅道)と嶺南(慶尚道)にそれぞれ基盤を置きつつ、敵対政党の基盤地域では当選者を出せない現状を見ると、実質的にはソウルに本部を置いて全国の各種選挙に参加しても、実質的には地方政党・地域政党なのではと反論も出来る。

 しかしこれもしばしば指摘するが、真に韓国が「自由」民主主義国家であれば、政党や結社の自由原則の下、地方政党・地域政党を受容・合法化し得るだろう。しかし、それが出来ないのは、地域主義・地域感情とそれに伴う弊害を敵視して「戦う」民主主義国家だからなのではないかと考えざるを得ない。

 いずれにせよ、韓国の民主主義体制には、「戦う」対象が多過ぎて、日本のように韓国に詳しい外国の観察者には、全てを把握し切れないだろう。明文化された敵である「北(北朝鮮)」「共産主義」とは別に、明文化はされずとも過去の歴史を教育されながら”実質的な敵”として扱われる「日本」に加え、国内では「地域主義・地域感情」も存在するのだという事を理解してほしいのだ。

 そして明文化されているか否かに拘わらず、一度、敵視され「戦う」対象となった場合、外国人や第三者には理解しがたい不寛容、拒絶、非合法化、弾圧等の国家と社会からの同調圧力や暴力が生じるのが今の韓国であり、敢えて言えば「戦う」民主主義体制の特徴なのだ。

 儒教の伝統の中、理念の混乱や歴史認識の混乱を現在進行形として経験している韓国。「資本主義の敵」や「民族主義の敵」や「地域主義の敵」と戦っている韓国の「戦う民主主義」を観察していると、日本に対する韓国の熾烈な姿勢も少しは理解できるようになるはずである。

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