2000年6月の首脳会談で抱擁を交わす当時の金大中大統領(右)と金正日総書記(資料写真)=(聯合ニュース)
2000年6月の首脳会談で抱擁を交わす当時の金大中大統領(右)と金正日総書記(資料写真)=(聯合ニュース)
【ソウル聯合ニュース】韓国と北朝鮮の首脳が初めて対面し、朝鮮半島の和解と平和の新時代を宣言した南北共同宣言から、15日で20年を迎える。 2000年6月15日、当時の韓国の金大中(キム・デジュン)大統領が平壌での南北首脳会談後、別れ際に北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記と抱擁を交わし、「南と北はこれまでの対決の時代に終止符を打った」と語ったときには、南北が和解に向けて大きく前進するかのように思われた。 だが期待とは裏腹に、その後の南北関係は前進しているようでいつの間にか元に戻るという、行きつ戻りつの繰り返しだった。この20年間の南北関係の浮き沈みは、韓国の政権交代に伴う対北朝鮮政策の変化にその理由を見いだすこともできるが、一番の原因は北朝鮮の継続的な核開発にある。 南北は共同宣言の採択後、各分野でそれまでになく活発に交流した。北朝鮮の景勝地・金剛山観光事業が本格化し、南北経済協力事業として開城工業団地が造成され、南北がもはや過去の対立関係に戻ることはないという期待が広がった。 こうしたムードの中、07年10月には当時の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と金正日総書記による2回目の南北首脳会談が実現し、南北首脳宣言が採択された。 だが08年に入り、保守系の李明博(イ・ミョンバク)政権が北朝鮮の核廃棄を条件とする支援政策を打ち出すと雰囲気が変わった。同年7月に韓国人観光客が北朝鮮兵に射殺される事件が起きて金剛山観光が中断されると、北朝鮮は金剛山にある韓国側の不動産資産を凍結、没収して対抗。南北関係は急速に冷え込んだ。 北朝鮮は09年に2度目となる核実験を行うなど挑発を重ね、10年には北朝鮮による韓国海軍哨戒艦「天安」撃沈を受けて北朝鮮との人的・物的交流を断つ韓国政府の独自制裁が実施され、一段と行き詰まった。 さらに、同じく保守系の朴槿恵(パク・クネ)政権では北朝鮮への強硬姿勢と北朝鮮の相次ぐ核実験・ミサイル挑発が相まって関係は最悪の状況に陥った。南北関係の「最後のとりで」だった開城工業団地さえも、北朝鮮の核実験や長距離弾道ミサイル発射を受けて朴政権が16年2月に全面中断を宣言し、閉鎖された。 大きく冷え込んでいた南北関係は、17年5月に発足した文在寅(ムン・ジェイン)政権の積極的な和解の呼び掛けに北朝鮮が翌18年の平昌冬季五輪への参加で応えたことで、雪解けを迎えた。 文大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)国務委員長(朝鮮労働党委員長)が18年4月に軍事境界線がある板門店で行った南北首脳会談、同9月の平壌での再会談は、変化した南北関係への希望を抱かせるのに十分だった。 18年6月にはトランプ米大統領と金正恩委員長による史上初の米朝首脳会談も実現し、ついに朝鮮半島にも平和が訪れるという興奮は最高潮に達した。 だが、そこまでだった。 北朝鮮の「完全な非核化」とこれに対する米国の見返りを巡る実務交渉は進まず、19年2月にベトナム・ハノイで開かれた2回目の米朝首脳会談は制裁緩和に対する意見の相違から合意なく終わり、交渉は勢いを失った。 北朝鮮核問題で進展がないことから、南北関係も壁にぶつかっている。文政権は南北の鉄道・道路の連結、開城工業団地や金剛山観光の再開といった青写真を描くが、対北朝鮮制裁が立ちはだかり踏み出せずにいる。 核問題の早期解決が望めない中、政府は「できることからやろう」と北朝鮮への個人旅行などを提案。だが、韓国が米国の顔色をうかがっているという不満をため込んでいた北朝鮮は今、北朝鮮脱出住民(脱北者)団体による金正恩委員長を批判するビラの散布を名分に韓国への攻勢に出ている。 対立の17年と和解の18年、膠着(こうちゃく)の19年を経た南北関係は、共同宣言の採択から20年を迎えた今年、再び対立へと戻る危機に陥っているといえる。00年の会談で南北の首脳が分断から半世紀にして顔を合わせ、それから20年の歳月が流れても、分断体制は崩れることなく強まる一方の様相だ。
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