1944年の昭和東南海地震による犠牲者を追悼する碑(提供写真)=(聯合ニュース)
1944年の昭和東南海地震による犠牲者を追悼する碑(提供写真)=(聯合ニュース)
【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代の1944年5月、韓国の光州や全羅南道、忠清南道などで暮らしていた少女300人余りは「お金も稼げるし、勉強もさせてあげる」という言葉にだまされ、三菱重工業の名古屋航空機製作所に向かった。

 1日12時間の重労働だけでなく、暴力までふるわれる生活に17か月間も耐えた。賃金は一銭も支払われない強制労働だった。

 日本側は数十年にわたり「強制労働はなかった」との主張を繰り返したが、良心的な声をあげる日本人も存在した。「名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会」の高橋信共同代表や小出裕事務局長などがその代表だ。

 同団体は募金活動を行い、1988年12月7日に名古屋市内の三菱工場の跡地近くに追悼碑を建立した。この碑は1944年12月7日に発生した昭和東南海地震により崩れた工場の建物の下敷きとなった犠牲者を追悼するもので、犠牲者の中には朝鮮半島出身の強制労働被害者6人が含まれている。

 同団体は、元女子勤労挺身隊員の被害者らが1999年に日本政府と三菱重工を相手取り損害賠償を求める訴訟を日本で起こした際、敗訴が確定する2008年まで原告の訴訟費用、日本への渡航費用、滞在費などを支援し、被害者の名誉回復と救済のために努力した。

 また2007年7月から毎週金曜日に街頭に立ち、三菱の謝罪と自発的な賠償を促す「金曜行動」を448回にわたり続けている。

 韓国大法院が先月29日、日本による植民地時代だった戦時中に三菱重工で働かされた韓国人被害者が同社を相手取り起こした損害賠償請求訴訟2件の上告審で、いずれも賠償の支払いを命じる原告勝訴の判決を出した際も、同団体は翌日に、三菱重工本社に近い東京・品川駅前で同社に判決の受け入れを促す呼びかけを行った。

 同団体が名古屋に追悼碑を建設してから7日で30年を迎えた。同団体の呼びかけにもかかわらず、日本政府は1965年の韓日請求権協定で個人請求権問題は解決済みとの立場を変えずにいる。


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