浅川巧の墓前で行われた追悼式の様子(浅川兄弟顕彰会提供)=2日、ソウル(聯合ニュース)
浅川巧の墓前で行われた追悼式の様子(浅川兄弟顕彰会提供)=2日、ソウル(聯合ニュース)
【ソウル聯合ニュース】日本による植民地時代に朝鮮民芸や陶芸を研究し、朝鮮半島の緑化に尽力した日本人、浅川巧(1891~1931年)とその兄・伯教(1884~1964年)の韓日合同追悼式が2日、ソウルの公共墓地、忘憂里公園墓地で執り行われた。韓国市民団体「浅川兄弟顕彰会」が伝えた。 浅川伯教は1913年に京城(現ソウル)の小学校の美術教師として赴任。朝鮮の陶磁器に心酔し、全土を踏査し陶磁器の歴史をまとめた。1946年に日本に帰国する際に寄贈した陶磁器と工芸品約3500点は、国立中央博物館に収められている。 浅川巧は兄の勧めで朝鮮に渡り、朝鮮総督府の林業技師として朝鮮半島の緑化に献身するかたわら、朝鮮の文化に愛情を注いだ。急性肺炎で亡くなると、「朝鮮式の葬儀で朝鮮に埋めてほしい」という遺言により、京畿道・楊州に埋葬され、その後、現在の地に移された。
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