【東京聯合ニュース】在日韓国大使館が3年間の立て替え工事を終え新庁舎に移転したことをきっかけに、1948年の大韓民国政府樹立直後、在日韓国代表部開設に貢献したある在日同胞に注目が集まっている。
 在日韓国大使館は2010年5月から3年にわたって立て替えを行い、東京・南麻布に地上7階、地下1階の新庁舎と大使公邸を建設した。最近大使館1階に在日韓国公館の足跡をたどる歴史資料館「東鳴室」を設けた。
 1962年に大使館用地を無償で寄贈した在日同胞、故徐甲虎(ソ・ガプホ)氏の号にちなんでつけられたこの資料館には、大使館に昇格する前の在日韓国代表部が1949年1月に東京・銀座の「服部時計店ビル」(現在の銀座和光)に開設されたことなどを示す資料などが展示されている。
 ただ、在日韓国代表部が同ビルの4階に開設され、賃貸料1000万円と職員官舎購入費用300万円を在日同胞の故チョ・ギュフン氏が寄付したことは記されていない。
 在日同胞の李奉男(イ・ボンナム、94)在日学徒義勇軍同志会長の証言とチョ氏が残した回顧録によると、在日代表部の鄭翰景(チョン・ハンギョン)初代公使は1948年初めに兵庫県でゴム工場を運営していたチョ氏の自宅を訪問し、代表部開設費用の負担を要請した。政府樹立前の韓国には代表部を開設するだけの資金がなかったためだ。

 済州島出身のチョ氏は1923年に日本へ渡って起業し1946年、大阪に韓国系民族学校「白頭学院」を設立した社会事業家でもある。
 当時、鄭公使は代表部事務所の賃貸料500万円を要請したが、チョ氏は「植民地支配解放後に初めて日本の地に太極旗(韓国国旗)を掲げるのにみすぼらしい事務室ではだめだ」として、友人2人と共に親戚から資金を集め1000万円を差し出した。

 李会長は「当時、20~80万円あればかなり良い家が買えた。1000万円は今の数億~数十億円に当たる」と話した。
 政府はこの費用で連合国軍総司令部(GHQ)がPX(軍売店)として使用する目的で没収した服部時計店ビルの4階を借りた。
 李会長によると、チョ氏が新たに提供した300万円は、北里大学近くに代表部職員が使用する官舎を購入するのに使われた。
 その後チョ氏は、鄭公使の依頼で1949~1950年に東京で在日本大韓民国民団(民団)中央団長の職を務めた。そのため、兵庫県で運営していた自身の工場運営がおろそかになり、事業が傾き子どもたちに財産を残すことができなかった。
 だが、この経緯を記した記録は在日大使館はもちろん、韓国外交部資料チーム、国家記録院にも全く残っていない。政府が保有する1945~1950年の記録が粗末なものだった上に、鄭公使とチョ氏との間でやり取りした費用についての記録も残されていないためだ。チョ氏の功績をたたえる人たちやチョ氏の親族、李会長など一部の同胞が当時を記憶しているだけだ。
 政府は18日、南麻布の新庁舎で金奎顕(キム・ギュヒョン)外交部第1次官や徐甲虎氏の遺族が出席して庁舎の開館式を開く予定だ。チョ氏の親族はこの席に招待されなかった。
 大使館関係者は、今後、東鳴室の資料を補完する際にチョ氏に関する資料を補充することを検討していると明らかにした。

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