7周年記念式を終え、戦死者のレリーフに触れる韓昇洙首相=29日、京畿道・平沢(聯合ニュース)
7周年記念式を終え、戦死者のレリーフに触れる韓昇洙首相=29日、京畿道・平沢(聯合ニュース)
【ソウル29日聯合ニュース】2002年6月29日、黄海の北方限界線(NLL)を侵犯した北朝鮮の警備艇が韓国海軍の高速艇に先制攻撃を加えたことで発生した第2延坪海戦から7周年を迎えた。
 当時、合同参謀本部軍事情報部長だった権栄達(クォン・ヨンダル)予備役少将は29日、聯合ニュースの電話取材に対し「第2延坪海戦はさしたる評価はされなかったものの、勝利の戦いに劣らぬ海戦だった」と振り返った。
 当時の状況については、「韓国軍の艦艇が沈没し、死傷者が発生したために敗北したと間違って認識されている。北朝鮮軍の先制攻撃にもかかわらず将兵らは良く戦い、勝利したも同然の戦闘だったが、それにふさわしい評価は行われなかった」と強調した。
 韓国軍高速艇の砲撃により炎上した北朝鮮艦艇は艦橋や船体交尾の艦砲が破壊。北朝鮮軍の死傷者は最終的に死亡13人、負傷25人と集計され上部に報告されたという。権氏は「北朝鮮軍の被害状況は、あまりにも状況が切迫していたため海戦当日は確認されなかったが、数日後にさまざまな情報を総合し、分析した結果、確認することができた」と説明した。
 当時の北朝鮮軍の被害状況については、国防部が2002年7月の調査結果発表で「韓国艦艇8隻の3450発余りの集中応射により北朝鮮艦艇から30人以上の死傷者が出たと推定される」と明らかにしている。
 権氏は「当時の北朝鮮軍が意図的な計画の下、挑発したと推定されるが、どの部隊で指示したのかは不確実」とし、ただ、西海艦隊司令部と8戦隊が調整とコントロールを行ったのは確かだと主張した。第2延坪海戦記念式が政府レベルに格上げされたことについては「幸いに思う。最善を尽くして戦った立派な将兵らを国民は記憶すべきだ」と述べた。

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