1443年(世宗25年)12月、世宗(セジョン)は王世子(=皇太子、文宗)と集賢殿(チプヒョンジョン)の学士たちに訓民正音を使うのに不便なことはないか試させた。崔万理(チェ・マルリ)らが漢字を使っても意思を表現するのに差し支えはなく、しかも華夷秩序に反するとハングルの使用を反対した。それでも世宗は、ハングルが性理学的音韻論に基いて作られ、便利であるという論理を立て、反対を退けた。

ハングルを作った原理は1446年9月に頒布された『訓民正音解例本』に記されている。発音器官に倣って基本子音を作り、天地人三才に倣って母音字を作った。これに画を加えた加画と初声、中声、終声を結合した合字を通じて計28字のハングル体系を完成した。ハングル創製が驚くべき、かつ神妙なものであるのは、当時ハングル使用を反対した臣下たちも認め、今日の世界言語学者たちもハングルの優秀性を認めている。

世宗は何の理由でハングルを作ったのだろうか。『訓民正音解例本』の序文には「哀れな民たちが自分の考えを表現する手段を持つことができなかったことからくる悔しさと不便さを減らしてあげるため」と記録した。世宗の民を思う心と王道政治の産物であるわけだ。

世宗は仁政に基づいた王道政治の範囲を両班士大夫から全民にまで拡大しようとした。このとき現実的にぶつかる問題は王道政治の基本である忠孝の徳目をどのように民たちに教えることができるかということだった。世宗は両班の子弟たちに忠孝を教育する書冊である『三綱行実図』や『小学』を一般民たちもやさしく触れられる手段として、学びやすくて書きやすい字の創製を構想した。

これに加えて世宗は朝鮮王朝を立てた先祖のすぐれた資質と努力そして王権が安定するまで繰り返された政争とその中に込められている歴史的な教訓などをきちんと整理し、これを両班士大夫たちだけではなく全民に知らせようとした。しかし、漢字では限界が多かった。要するに世宗は王道政治の幅を一般の民にまで拡大し、朝鮮初期の国政経験と歴史的教訓を共有しながら、国民統合を成すために訓民正音を創製したのだ。


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