ソウル市庁(画像提供:wowkorea)
ソウル市庁(画像提供:wowkorea)
●変わりゆく韓国の町役場

 昔ソウルに帰国して一番行きたくなかったのが区役所であり町役場でした。

 不親切で偉そうにしている窓口の役人は恐怖の対象でした。書類一つ取るのに何時間もかかり、列があっても割り込みされ秩序がありませんでした。やっと自分の番になっても、その書類はここでなく違う窓口だと言われ、また最初から並び直さなければならないなど出生申告をするだけで、何時間もかかりました。

 何とハードルの高い窓口なのか!

 急ぎのときは窓口の事務員に急行料という何かのお金を渡さなければなりませんでした。日本育ちの人間には、渡すタイミングや良心の呵責で気が重いものでした。

 兵役義務の一環で町役場の軍関係の事務をしていた一九七四年の年の瀬に、「扶養家族の税金控除」の制度ができ、全国民が税務署に住民票を提出しなければならなくなり、住民台帳のある町役場がとても混雑したため、直接関係のない私も狩り出され事務を手伝いました。当時はまだ住民票が電算化されておらず原本を手書きで写して発行していました。

 その間、私は町役場の不親切と権威的な態度にうんざりしていましたから、私だけでも日本で学んだ親切さを発揮して丁寧にサービスすることを心がけました。

 町役場は列に並ばず我先に発行しろと叫ぶ人々でごった返していました。私は窓口に接近すらできなくておろおろしているおばあさんを見つけ自分の窓口に来るよう手招きして住民票を発行してあげました。内心自分のした行為を誇らしく思い、満足感に浸っていましたが、何とそのおばあさんが感謝の印として私に百ウォンをくれました。ビックリして「おばあさん、このお金で孫にお菓子でも買ってあげてください」と受け取りませんでした。

 そしたら、そのおばあさんは後ろに下がって巾着を取り出しもう百ウォンを添えて私にくれるではありませんか!私が百ウォンでは少ないから受け取らないと思い、もう百ウォンを足してきたのには驚きました。もちろん受け取らずおばあさんに返しましたが、その後姿から「何と親切な人がいるのか」という感謝よりは、私の行動が理解できない様子が見て取れました。

 それほど当時は、権威的で施してあげているんだという態度が公務員に蔓延していました。日本のように地方自治制度が確立されていなかった面が多分にあります。知事、市長、区長などの首長は選挙で選ばれるのではなく、中央から任命された役人がなっていたので、彼らの関心は一般市民より中央の任命権者即ち大統領に向いていました。その下の公務員も上級者の挙動に全神経を注いでいましたので一般市民は眼中にありませんでした。

 当時公務員の給料が少なかったこともこのような悪い慣行を生みました。ところが一九九五年から知事や市長、区長を一般市民が選ぶ選挙になったとたん、区役所や町役場のサービスがガラッと変わりました。ソウルの各区は競い合うように窓口の対応を良くし、いわゆる「公僕」として奉仕するようになりました。

 戦後(一九四五年~)七十年余りの期間に経済成長と民主化という金字塔を築くまでには、こんな試行錯誤もあったのです。

●もっと韓国を知るためのことば
 シムニョニミョン カンサンド ピョンハンダ 十年もたてば山河も変わる
 十年という時間が流れると変わらないものはないということ。

※文=権鎔大(ゴン・ヨンデ)韓日気質比較研究会代表の寄稿。ソウル大学史学科卒業、同新聞大学院修了。出典=『あなたは本当に「韓国」を知っている?』(著者/権鎔大 発行/駿河台出版社)

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